覚者慈音547

               三世と四世論
           未知日記第八巻
           第三の巻
           未来の巻        其の99
  第十       明より明にすすめ    其の1                         NO1                                           リョウジャ.セイキョウ貴尊講述


 信仰にはとかく様々の変化を生ずるによって或は明るく或は暗くなること多し。のぼる信仰と下る信仰の両道ありて一定せざるは一般人の信仰なり。この信仰にては終生正しき地点に到達することを得ず、迷いより迷いにのみ走りて真の明るき光明は得られざるべし。ここに人あり。その人常になやみ多くして神に祈りて救われんと祈願なしたるに神の力によりて漸くそのなやみはかき消す如く失せたれば彼神を敬う心強く益々信仰を深め居たりしに又々一つの悩み起りて如何に願うも消え去らず。彼は未だ信仰のうすきを悟り益々神に祈りを強くなしたれど及ばず悩みは深刻となり行くのみ。ここに至って彼はやや神を怨むに至りたり。ここに人ありて曰く、汝の信ずる神は力うすくしてその悩みを救うことあたわず、わが信ずる神につけよとて誘はるるままその神を信じて悩みを脱することを得たり。然るに又も大なる苦悩に遭遇して次より次ぎへと誘はるるままに他の神を信じ居たりしが、彼心に思うやぅ、このなやみにはこの神を信じ、又かのなやみには彼の神を信じなば可ならんと恰も神を薬石のそれの如く思いて多くの神々をまつり居たりしが、一人の聖者彼が許に来りたれば聖者に願いて迷いをはらさんと従来の信仰を聖者に問へば聖者笑いて曰く、「汝の信仰は所謂気まぐれ信仰にて真の信仰者にはあらざるが故に神の力汝に至らざるなり。所謂寒ければ衣を重ね、暑ければ裸体となる。かかる信仰にて神を願うともそは正しきさとりを得ること難し。信仰はさとりとならずば及ばじ。もとより信仰には確定信仰と不確定信仰との二種あり。寒ければ衣を重ね暑ければ裸体となる、この信仰は確定信仰なり。眼に見えず耳に聞えざる神を信ぜんとするは是即ち不確定信仰なり。喰えば腹を充たし肉体を養うことは確定信仰なるが故にそは全く信仰の終りたることにて今更論議する余地なき信仰なるべし。故にこれらを確定信仰と云う。されど不確定信仰は前途遼遠にしてくめどもつきざる泉の如くはてしなき処迄追い求め、然して後、是を確定信仰にまで進まざれば真の神は知ることあたはず。信じ難きものを信ずる迄に至らしむるには種々様々の障碍をのり超えずば目的を果すことあたはじ。甲の神を信じ其をすてて、乙の神、丙の神とさまようは是迷にて信にあらざることは当然なることに心づかずして確定信仰を得んこと思いもよらず。今より汝は従来の信仰を潔く捨てて我等が教ゆる信仰に入れ。然して不確定信仰より確定信仰に至る迄如何なる障碍ありとも屈せずたゆまざる力を養はば必ずや正しき道は開らかるべし。即ち我等が教ゆる信仰とはきはめて簡単なり。先づ汝は神を離れて様々の下界の姿を観望し見よ。春来りなば花開き秋来りなば実を結ぶ。生れし人は老いて死し鳥は空をかけ虫は地を這い水は低きに流れ高き山は何時も雪を戴く。斯る姿を見て汝は如何に考ふるや。是等は確定信仰によって汝等は敢て不審せず。唯景色の有無を眺めて賞美するのみ。されど今この確定信仰を離れて考へ見ば如何なる思ひの浮び来るか。例へば高嶺の花は人工をからずして時来りなば美はしき花を開らく。然るに人工を加へたる花は高嶺の花に比してその形変り行けど枯死するは早く高嶺の花は自然に花を開らかせ居れど枯死すること人工の花の比にあらずして永久なり。



×

非ログインユーザーとして返信する

あと 2000文字

※は必須項目です。