覚者慈音43 大霊界 完全なる組織は果されざるなり。今や慈音は畜生道の味をなめ尽くして、漸くその行を終へ度脱したるに不拘、今尚その悪痕跡を洗ひ清むるあたはず。今尚悪道にひき入れられんとなし居るなり。教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界  巻の壱                                                  NO3                                      
                                                                                                                                                              教主寛大
 講述



 滅するものは滅する方向に向はしめ、滅せざるものは滅せざる方向に向はしめずば、正しき自然を知ることは難し。不滅のものを滅する方向に向はしむるによって、完全なる組織は果されざるなり。今や慈音は畜生道の味をなめ尽くして、漸くその行を終へ度脱したるに不拘、今尚その悪痕跡を洗ひ清むるあたはず。今尚悪道にひき入れられんとなし居るなり。行力を重ねたる慈音に於てすら一旦悪道に染まらば、その垢は清浄せらるる事を得ずして折にふれ時にふれ、迷ひを深くする事あるをみても、一度邪道におちいれば、その苦を脱するする事は容易のわざにてはなし遂げ難し。されば汝等衆人の如く修行をなさずして、唯々拝みによって邪道に迷はされざる用心肝要なり。話はいささか曖昧なる言葉に化せられたれば、汝等衆人には解し難き点あるならん。汝等衆人は兎に角傍目せず、我等の手にすべてをまかせて歩みを進むべし。先にも語りし如く天界に迄到達するには道は遠し。遠しとてあせるにも及ばじ。先にも語りし如く道中に於て花に誘はれ、涼風に招かれ月にひかれてわき路にふみ入れて、はては天界に迄到達するあたはざるものの多きは、すべて完全なる信仰を得ざるによって、稔りも充分ならざるため取り残されたるにすぎず。
よって衆人はかかる事のなきやう人智をはなれて、神智の稔りを充分に吸収して天界の門に至るべし。然して天界に上りなば其にてすべての苦患はぬぐい去られ、自由の極楽は得らるるかと云ふに然らず。その後こそ尚も働きをなさざれば、分秒も休止の時間は与へられざるなり。謂はば肉体を具へし過去が却て恋しくなるものなり。肉体ありし時は眠ければ眠り、行きたれば歩みを運べど、天界の門をくぐりなばかかる事は許されざるなり。そは何故かと云ふに天界に運ばれたるものは、既に生老病死の苦しみはなければ如何にはたらきをなすとも、疲労と云ふ事を知らざるが故に、唯はたらきの連続にてすごし居るため、却てそれが楽しみとなるなり。
天界の門をくぐりて後皆其々の分を与へられその職責を全うすれば、又次なる職分を与へられつつ次第に進化して、やがて天界第一の門は終はりとなる。是等に関しては追々詳しく語り聞かすべし。

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