覚者慈音534

               三世と四世論
           未知日記第八巻
           第三の巻
           未来の巻        其の86
  第五       相対信仰と絶対信仰
                       NO2                         
             リョウジャ.セイキョウ貴尊講述


 朝に斯岸を船出して夕に彼岸に達せんとするも是即ち迷いなり。来るものは帰り帰りて又来る。是又迷いなるべし。汝等の多くは外を求め内を知らず。故に迷いのみ多くして道をあやまつこと多し。心すべきことなり。道は遠きにあらず。既に定まりたる処に居を占め居るなり。宇宙は全宇宙の中に包含せられありて終始の分定まりあるにあらねば何れを右とし何れを左とするの要あるべからず。聊かむづかしき説明にて汝等に理解すること困難なるべし。されどよく翫味して思惟し見よ。汝等が心は常に定まりたる位置を有しあらずして唯空間に放たれたる凧の如く唯あてもなく風にまかするのみなるべし。凧は地に堕ちてはじめて居を得たると考うるならば其はあやまちなり。風にまかせて浮遊しある間こそ凧の本分をつくし居るなり。地に落れば居に安んずるにあらずして既に力を失いたるなり。人の心又然あるなり。動揺すればこそ居を求むる方法にしてもし思案つきて空しくならば其ははたらきを静止して死したるなり。肉体を有するが故に肉体に囚はれて共に黄泉に入るならばそは神の命に反して所謂泥中に落ちたる凧と同様の結果とならん。我、意味の通ぜざる言葉を以て汝等を迷はしむるに至りたり。されどこの書は未来論にして現在にあらず。故に汝等は今後の修業修行をなすにあたって順序よく進み行かば此理は自然と汝等が意中に喰い入りて必ずや汝等を導く手引きとならん。疑ふこと勿れ。我等一定したる文章をもて汝等に懇々と説明するは易けれどそは却って汝等が本心を傷け却って枝葉の感を深くせしむるに至らんことを慮って此処にわざと迷いに陥らしむる如き言葉を以て説明なしたれば、頭尾の区別明らかならずと嘲笑う文士もあるならん。嗤う文士こそ笑止なりと我等は思うなり。
 ここに人あり。人のため世の為善根を施して極楽に往生なしたりとせんか。その極楽の居に馴れて果ては一度地獄の苦を味はんとて地獄に堕ちたりと云う例話もあるなり。人間はものに習慣づけらるれば却って変りたることを望むは本能なるべし。極楽は却って退屈と感ず。地獄の様こそ面白けれなど考うるも是又本能なるべし。もし善人は天国へ悪人は地獄へと定まりたらば其は果して神の造り給いし法則なるか。我等は些か寒心に堪えざるなり。善とは何か。悪とは何か。神の造り給いし善悪と人間の考うる善悪とは相違あることはしばしば語りたるところ汝等も既に認知なし居るならん。善人のみ神の世界に来り、悪人は神の世界より遠ざかりて何処に居を占むるか。もし然りとせば神の世界は善人の居と悪人の居と二分せらるるにてはあらざるか。善悪二道に分るるとせば神の世界は一にてはあらざるべし。ここの道理をよくよく考へ見よ。全宇宙は神の世界なり。されば神の世界は一にて二あることなしとせば善悪の如き二分せられたるところにてはあらずと考へてこれを考察する時そこに迷いは生ずるならん。もし迷う心ありとせば其は絶対にあらず。即ち相対なり。故に絶対の世界として是を考察することの至難なるは云う迄もなからん。汝等の世界は斯くの如きものにして常に絶対信仰に入ることを得ず。常に相対信仰となり居るなり。

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