覚者慈音532



                                           三世と四世論
           未知日記第八巻
           第三の巻
           未来の巻        其の84
  第四       神を求めて何処迄も
                       NO2                         
             リョウジャ.セイキョウ貴尊講述


 汝等山はさけ海はひるがえるを見ては其は自然と考うるか。自然とは斯るものを云うにあらず。もとよりそは自然の部類に属せど正しき自然にあらず。真の自然はかかる単純なるものを指すにあらず。もとより驚天動地も自然の部類に属せどそは経路と順序に他ならず。たとえば田を耕作し籾を下して米をつくると同様にして田をたがやすは米をつくらんがための方法と考うるは、人間がある方法より覚知し得たる術を用いたるにして其は自然を応用したる一法にすぎざるなり。故にそは神より人間へ移されたる一つの現はれに他ならざることを深く認識して考究し見よ。然る時は自然の法則は空より空なることを感受するならん。
 今後斯る婉曲なる言葉を以て汝等に教へしも、汝等が自然に順応する一種の方便として示めしたるにすぎざれば深く深く思惟して自然より自然へと自然を求めて追慕追究なさしめんがための一策なり。自然の中には自然と不自然の区別すら判明し難きことすくなからず。汝等が自然と思うことにには不自然なる事非常に常に多くしてその判別に苦しむこと多々あり。
 今我、欣情をしてこの講を認めしむるも自然の法則を応用して記録なさしめつつあるなり。我、先に語りたり四線の法則こそ即ち自然なり。田をたがやすは破壊にして籾を下すは分解なり。然して肥料を施すは融和を計り然して其を見守るは組織を計る。是人工的自然なり。されど土は籾を破壊し籾は分解して根を下し二葉を出すは分解に属し、根と葉と融和してのび行くは融和、然して全く米となる迄融和組織の順序となるは是天理の自然に属す。自然とは斯る複雑多端にして人工自然天理自然と二葉に区別せられ居れどその区分しある二葉が一体とならざれば真の自然とはならざるなり。
 山はさけ海ひるがへるは順序の自然にして神より下されたる自然には属せざるなり。故にこれを自然と見るか不自然と見るかにすら迷うなり。大凡自然の道理ほどむつかしきものはあらず。されば神を信じ或は法を信じ、道を信ずるも自然の法則に従はざれば真の信は得がたからん。
 今慈音が行い居る絶対の行について苦しみあるも自然なり。この自然より一歩あやまてば顛落し又自然に入りては進み幾回となく進退なし居るは事実にて為に度脱するを得ず苦悶なし居るなり。世に自然程むづかしきもものあらず。自然を正しく認識してはじめて真の信仰は得らるるなり。汝等この理をよくよく研究して何処迄も神を追い求めて真の神を認識し正しき信仰を求めよ。



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