覚者慈音531  三世と四世論  神を求めて何処までも  セイキョウ貴尊講義

              三世と四世論
           未知日記第八巻
           第三の巻
           未来の巻        其の84
  第四       神を求めて何処迄も
                       NO2                         
             リョウジャ.セイキョウ貴尊講述


 何故神を造るかと云うに神は不善をなさずとは如何なる人も思い居るに依って修養も不善を伴はざる故なり。理想の神を心に描きては進み進みては目標を定め、定めては進む道をつくり其が完成すれば更に次の目標を定めて道を作ると同様の方法なりと考へて工夫し見るも可なり。是は心霊を追慕する方法にして信仰うすき人を導くに重要なる方法なり。かくして一歩進めば又理想をたかくして神をたかくし進むに従って何時しか真の神を知るに至るなり。理想の神をつくる底の智慧ある人に注意しおくことあり。その一つは錯覚に陥ること、その二は自尊心を強くして身をあやまることあり。この他多くの障碍あれどすべては此二つに帰す。故にかかる障碍は免がれざるなり。或人曰く、我には神などの必要なし。如何にとなれば我々は神を求めて願はんとなす事一つとして無く、又不善を企るにあらねば神に恥づることも無く又罰せらるることもあらざれば神あるもよく又なきも可なり。汝等この言葉に対し如何に解釈するや。この人は大悟したるか、或は無智の苦労知らずかの何れかの人ならんかと考うるか。我等は然とは思はざるなり。斯る言葉を称うるは悟りをあやまりたるか、或は無分別者の理屈にすぎざる故なり。正しきさとりを得たるものの口にする処にあらざればなり。
 先に我等が語りし神ありと思うも亦なし思うも可ならんと云いしを曲解せば斯るあやまてる言葉を口にするに至るなり。汝等深く考慮してあやまつこと勿れ。是により多くの智者学者が宗教に或は哲学に依って宇宙の謎を解かんと苦心惨憺して研究なし居るは何故ぞ。もとよりその一毛だに究むるあたはずとは云へ、その苦心の程は察するに余りあらん。其は如何なるためになし、又如何なる目的によるかは云はずもがな。人類の興隆によって最大幸福を得せしめんが為なるべし。然るに或人の言葉の如く何事も求むるにあらねば神の必要なしとはあまりに自己本位主義ならずや。もとより此言葉には他に意味あることも我等は知り居れど帰する処は個人本位なるべし。即ち宇宙の謎とか或は神秘とかを究めんとならば先づ何を研究すべきかを考へざるべからず。是を究むるには何を観察して測定すべきか。宇宙全体はあまりに広大なれば是をきはむることは人智の及ばざるところなり。されど是をきはめんとならば何か或一種のものを択びて然してそのものの本体をきはめざれば道を求むるは難し。然らば何を求むべきか、曰く、宇宙の大自然に和してその大自然の本体を把握するにあらざれば目的を達することは難からん。

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