覚者慈音529

            三世と四世論
           未知日記第八巻
           第三の巻
           未来の巻        其の82
  第三       知りてさとるか、覚りて知るか
                       NO3                         
             リョウジャ.セイキョウ貴尊講述


 天佑に関しては最早語るの要もなからん。此事は教主もテッシン貴尊も語られたるに依って省略すべし。兎に角守護霊に対面するには知りて覚るべきか、悟りて知るべきかは問題なるべし。知りて悟るも悟りて知るも同じ意味の如く思うならん。又或る人は云う、知りてさとるは順序にしてさとりて知るは逆なればさとりを先にせよと云うは神の法則(おきて)教へにはあらざるべしと。いささか理に似たる理屈にして尤もに聞ゆれど事実は理屈にすぎざるなり。何となればその人は人間の組織を全く知らざるが故なり。人の成立には一種言葉にては現はし難き特殊の組織ありてその素質は空に親しめば却って微妙なるはたらきをなす力を有するなり。是に何とか命名するならば、特智根とも仮称しおくこととすべし。是等の原理あるによって心意ははたらき魂魄霊のはたらきも現はすなり。是を解し易く説明するならば心意魂魄を働らかしむる一種の機械なりと思うも可ならん。即ち智慧を生ぜしむるはたらきとも思いて可なり。是に特智根と仮称したれどこれは正確ならず。汝等是に依りて悟りたらばよき名を附すべし。兎に角是は智慧の培養土と見すことも得るなり。故に魂に施せば魂の養分となり魄に施せば魄の養分となる等の素質を有するなり。されば肉体的には神経をはたらかしむるも是なりと知るべし。此特智根は常に空を求め居りて空には敏感なる感受性を有す。故に是は無を求めてはたらく力あるに依って覚を先にすることを得るなり。我是を語り居る時ミキョウ曰く、特智根と名づけんよりは寧ろ簡単に空根と仮称しては如何と云いたれば、この二つを採用することとせん。
 此空根の動力あるによって人は向上もなし又低下するなり。もし是なくんば同じ位置に置るると云うも過言にあらざるなり。依って空根が機敏に活躍する人は世の勝利者となり、或は失敗者ともなるなり。是空根のはたらかせかた如何によるなり。即ち空根が摩擦根に従へば憎み怨み妬み怒り悲しみ等を誘発し、魂魄に従へば喜び楽しみ感謝等を起し、霊に従へば情慈悲の心となるなり。されば魂魄霊にはたらかすにあらざれば正しきを求むは難かるべし。もし摩擦根のみまかせをかば不安と迷いとなるのみ。迷へばさとりは得られず、故に信あるに用いざるべからず。信ずる力は大悟(さとり)を正しくす。覚信とは覚りて信ずるの言葉なるべし。汝等はたして覚信する能力を有するかと我等は質問せざるを得ざるなり。汝等の確信と云うは確かに信ずるの言葉ならんも我等の質問は覚り知るかとのことを云うなり。其は兎に角さとりと云うも空根動力のはたらきにて其が摩擦根或は魄に感応するか或は順ずるかに依って異なる事は既に語りし如くなれど、此はたらきの力は信ずると迷うとの結果に依って相違あり。もとより信ずると云うも空根にして疑うも空根なれば信ずる方向にむかって動力をはたらかしめざれば、覚りて知ると云うことは難し。されば信は正しきを信ずるにあらざれば通ぜざるなり。正しきものは世に数あるものにあらず。何となれば相対の世界には一方に信と思はば一方に疑なりと反駁するに依ってなり。然るに相対界に於ても宇宙を作りたるものは神なりと語り居るを見ても神のみは正しきとは誰も反駁するものはあらざるならん。神の存在の有無は別として汝等の心に神を作りては如何にと語りしも理由は是なり。



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