覚者慈音525

               三世と四世論
           未知日記第八巻
           第三の巻
           未来の巻        其の78
  第二       大智への順路
                       NO2                          
             リョウジャ.セイキョウ貴尊講述


 されば是等の事柄より推理するとき一家得道して九族天に生じたりとの事に思いをめぐらさば先輩なりと思いし一家は後輩となる関係とならん。さらばイエスも弥陀も今尚衆生の背後に在りて天界に或は浄土に押し上げ居るとの理論となる。さればイエスの流血、弥陀の本願は衆生の罪を償いてあまりあらん。欣情よ。汝此理を明らかに悟ることを得るや。人界の善悪は罪とは関係なけれど、天界の善悪にはみなそれぞれ報あることに留意して深く思慮分別すべし。されば我等は汝等の背後に在りて前進を計り逆行せざるよう見守り居るなり。故に安心して進むべし。前途には光明あり。背後に我等あり。何ぞ危ふかるべき。其は別として大智に進む道は一つにして二つあるにあらねど余りに広くして迷うなり。恰も茫漠たる砂漠を歩むに等し。大智への境涯はすべてを含蓄したる絶対にして所謂疑へば疑いの絶対となり。信ずれば信の絶対となり居ると知るべし。此理は光明論を読みたる人なれば理解なし居るならん。先に疑いにも絶対ありと語りしも亦是なり。然して大智迄には時間空間位置と数の関係あれど是は絶対なるが故に、地球の考へにては予測は難からん。何となれば時間空間位置と数限度などがあるが如く又なきが如き関係あるによってなり。相対智より絶対智否絶対智より零体本旨にうつる順路にはかくの如き難関を渉破せざるべからず。さればこそ慈音は此難関に遭遇して苦悶苦闘を続けつつ或は苛立ち或は怒り或は悲しみにて教主の叱咤を受け居るなり。兎に角大智を得るには此難関は誰もがなやまさるるなり。されば慈音の周囲の人々彼を援助しやりて彼が挫折せざるよういたはりやるべし。彼中絶せば汝等も不幸ならん。
 其は兎に角この処は一路真直に進まば方向には関係なく目的地点に達することを得れども一歩たりとも足を曲ぐれば同じ地点を曲歩して前進するを得ざるなり。進み居るかと思えば反対に退き居ることしばしばあり。右往左往する歩みは決して前進にあらず。進めども進むあたはず、退かんとして退くあたはず、左せんとして左するあたはず、同じ地点を曲歩なし居りてははてしなからん。その苦痛や堪え難からん。汝等進むとは何を物語るか、又退くとは何を意味するかを知るや。即ち進むとは信仰なり。信仰は進み行くの意に合うなり。又退くとは疑いなり。疑うは迷いなればなり。汝等の信仰は疑う如く、又疑はざる如き信仰なるにより真の信仰を得るに至らざるなり。されば信仰なくしては前進はなり難し。信ずるとは訳もなきが如く思はるれど真実肝に銘じ魂に銘ずる信仰を得るは容易のことにあらず。汝等の信仰は食すれば腹を充たすと云へる信なれば表面の信にすぎざるなり。かかる信仰は知るにすぎずして悟りし信仰にあらざるが故に徹せざるなり。

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