覚者慈音518

               三世と四世論
           未知日記第八巻
           第二の巻
           現在の巻        其の70
  第四十九     智慧の区別
                       NO4                           
              インショウ、ミキョウ貴尊講述


 今慈音は我等に向いて曰く、貴尊方の教へは理に合うならんと思へど実地にうつすことは難し。貴尊方の教へは理に合うならんと思へど実地にうつすことは難し。何となれば摩擦根を抑圧する法はなし得らるるならんも、手なづける法はなし得らるる如く思わるるのみにて事実はなし難き感あり。今少しく具体的に説明あり度しと。尤もなる事なれば細かく説明して疑問を晴らさしめん。
 摩擦根と魂魄の区別を明らかに知るを得たらんにはその疑問は起らざるなり。然るに一般人には其が区別なし難からん。依って先づ是をきわめざるべからず。世人はよく口にする良心即ちその良心こそ魂魄と見なして工夫せば少しは察するを得るならん。例へばかかる行為をなしては恥づかしきことなりと考うる事あらん。されど其を止むることあたはざる等は摩擦根と魂魄との衝突なりと知らば、我等の説明は察するを得べし。慈音の云う如く抑圧するを得るならば手なづくることもなし得らるるならん。我等はならぬことを教ゆるにあらず。ここに注意を要することは摩擦根と個性の区別なり。個性よりうくる執着と然らざるとの二種あり。個性よりの執着は如何なる方法を以てすとも撲滅せざるなり。先に語りをきし盗人の如き類なり。もし其行いが正しからざるとも強制的に抑圧するも目的は達し難し。故に是等は天理に合う方法に向はしむれば可ならん。





               三世と四世論
           未知日記第八巻
           第二の巻
           現在の巻        其の71
  第五〇      更に進んで大智まで
                       NO1                          
              インショウ、ミキョウ貴尊講述


 世人は分りきりたる事柄に対してとやかくと心を悩まして其が修養の如く曲解なし居るは何故ぞと我等は我等は質問なさざるべからず。其は何なるかと云うに即ち生老病死に対してなり。是程簡単に思惟なし得らるる事柄を、何故に思い惑うや。生るれば老い、老いぬれば病みて死する事は小児と雖も判明なし居ることなるべし。思い惑うとも惑はずともなるものと定められたる神の力は人力の如何ともなし難きことなる事も世人は知るところならん。然るにこの事にのみ囚はれて大自然に思いを到さざるが故に大智に返るを得ざるなり。是を執着心と云う。此執着をはなるれば迷夢はさめて明るき大自然の光明は輝くのみならず、生老病死の悩みはぬぐい去られて完全な悟りは得らるるなり。世人の修養修行の方法はあやまれる方向に歩みをむけ居る故なり。恰も一個の宝を堅固なる二重三重の箱に納め、尚不安なりとて土蔵深く秘めをき其が類焼によって鳥有に帰したると同様なり。世人は生命と云う宝を肉体と云う箱に秘めて其が空しく鳥有に帰せしめる愚を敢てする勿れ。慈音の如きこはれたる箱に納めありても生命は生命なり。智慧は智慧にてはあらざるか。用いずば宝も宝にあらざるなり。深く考慮して用ゆべし。
 さて我円海日本に在りし頃、都の傍伏見の里にて伏見人形を見て是は人を導くに適当なる玩具なりと思いしことあり。現今はやや変化して昔とは異なりたり。昔は表面は綺麗に着飾りて背後はそのまま土偶にまかせありたり。とかく人は面を飾りて背後には無関心なる事を意味したるならんと感心なしたるなり。
 兎角人は肉体本位にて精神的には無関心なりとはしばしば語りたれど世人は今も尚肉体に囚はれあるを、我等は如何に世人の執着強きかにそぞろ哀れを覚ゆるなり。信仰なき人の語るを聞けば神仏を念じたりとて腹痛一つ治すことを得ず。矢張り医薬によらざるべからず。其には金が大切なり。とかく浮世は神より金なり。神信心は閑人の時間つぶしにすればよし。我等は斯る隙あれば金儲けを考うるは賢者のなすことなりとて一向にとり合はぬ人すらあるなり。肉体本位も此処迄徹底すれば却って安楽なるべし。是等の人は生涯を動物性に終る不憫なる人間なり。米を稔らせず藁にて終る故なり。




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