覚者慈音517

               三世と四世論
           未知日記第八巻
           第二の巻
           現在の巻        其の69
  第四十九     智慧の区別
                       NO3                            
              インショウ、ミキョウ貴尊講述


 されば絶対智は如何にと云うに是にも聊か論議の余地はあるなり。先にも語りし如く絶対に信疑両道ありとせば其は相対の延長にすぎずと世人は考うるならんも、我等の説く絶対と世人の思う絶対には誤差ある故なり。何となれば世人は信疑を信ぜざるにあらざれば絶対にあらずと考へ居るならん。然らば絶対他力絶対自力と宗教者の説き居る絶対とは何をもの語るか。世人の思いに比すれば絶対の延長と見るの他なかるべし。此事あるによって我等は特に零体本旨の言葉を加へて説明せんと計りたるなり。
 絶対絶々対の信疑を有せしめざれば即ち凡てを零体本旨に帰するの他なかるべし。故にこの言葉を用いたる迄なり。智慧のはたらきは手ともなり、又足ともなり、耳眼口鼻ともなるなり。さればこそ盗人は手をたたけば智慧は響きに伝わりて戸を開らき、泰岳は杖来いとよべば智慧は声に伝わりて杖をひく力に化す。もし世人が泰岳及び盗人より彼等の行う法力を伝授せられんと願うとも彼等は説明によって伝うる事は難かるべし。されば実地にてなし遂ぐる迄は学ばざるべからず。
 世人は人智の至らざるを棚に上げて何事に対しても迷信妄信として顧みざる傾向あるは宜しからず。ならぬと思うはなさぬ故なり。我等に云はしむれば不思議と云うことは神力を措いて他にはあらざるなり。神の力は道理なれど我等の智慧にては推すことを得ざればなり。世人は泰岳盗人の法力に対してもそは伝説にして事実とは受けとり難し。斯る事を論ずるは無知蒙昧の徒輩なるべしと一笑に附するならば、その人こそ無知蒙昧なるべし。
 余事は別として盗人の個性は中智にてありしなり。彼の盗人は動物根に妨げられて悪行為をなしたれど、本来絶対智を有するにより一度是に化せらるれば摩擦根は虐げられて遂には人間性に立ち返るを得て人を救うに至りたるなり。絶対智を有する人は斯くも不可思議なる力あるなり。されば人にはみな其々に与へられし個性あるものなればその選択をあやまたずして是を意義あらしむるにあらざれば天分を全うするを得ざるなり。是を知るには己自らが最も好むところに従うをよしとす。小智のみをはたらかせて居ては目的は達するものにあらず。又天の使命を全うすることは難し。

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