覚者慈音516

               三世と四世論
           未知日記第八巻
           第二の巻
           現在の巻        其の68
  第四十九     智慧の区別
                       NO2                            
              インショウ、ミキョウ貴尊講述


 
 されば世人は芸は道によって賢しと云い居るにてはあらざるか。その言葉によって見るも知らるるならん。百種百般悉くに精通したる智者はあまたあるものにあらず。もしありとせば其は絶絶対智即ち中智の人なり。もとより小智の人の中にも賢き人はあれどその賢きは微々たるものにて取るに足らぬものなり。されば世人は小智をはなれて中智を求むるにあらざれば人間としての使命をはたす事は難かるべし。はたして中智は求めて得らるるかとの質問なるべし。世人は求めざるが故に得られざるのみ。求むれば得らるべし。昔の人に録音の事を語るとも信ぜしむる事は難からん。人死してのち録音なしをきたるものにて其人の声を聞き得るなどとは夢にも考へしことなかりしならん。
 我等が語る天界の事柄も是等に匹敵すべきたとえとなるなり。泰岳が杖来いと云いて杖は生けるものの如く手元に来りしは魔法にあらずと説きたりとて誰か信ずる人あらんや。されど事実なり。世人も軈て智慧の力そなはらば敢て不思議と思うものを却って不思議なりと考うるに至るべし。今一歩の修行にまつべし。小智より中智にうつるなり。
 されば小智を深くほりさげてたゆまずば軈ては中智のはたらきと化せらるるなり。世の中の名人と云わるる人も始めより名人にはあらざるなり。もとより名人となるべき素質を有し居るとは云へ刻苦勉励せずば懊悩をきはめ得らるるものにあらず。その素質と云うは己の最も好みとするものなるべし。されば世人は己の欲するところを択びて他に心をうつさず、そのものの一路を邁進せよ。悟するところは一なり。恰も井戸をほるに等し。水無き所を百千ほりたりとて苦労を増すのみなり。己の好みとする所には清水噴出するは確実なりと信じて掘るべし。所謂己の好むものは天授ならんと我等は思うなり。されど好めばとて悪事はなす勿れ。そは天の許容すところにあらず。
 或盗人如何なる堅固に作られたる倉庫にても手を三度たたかば扉は開らくと云う倉庫破りの名人なりしが、彼飄然大悟して聖者に至り、我の法力を他に益する術あらんかと教へを乞へば聖者曰く、大にあり。汝の手拍子は人の心の迷いの扉を開らかしむるに用いよと教へたりと云う逸話あり。凡て用法の如何にて悪も善となり善も亦悪に化するとの意義、是即ち小智は相対にはたらく故なり。


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