覚者慈音512

              三世と四世論
           未知日記第八巻
           第二の巻
           現在の巻        其の64
  第四十七     魂魄一体とならばさとりは得らるるか                       NO2                インショウ、ミキョウ貴尊講述



 とにかく無形のはたらきには限度なく、有形のはたらきには限度あり。即ち無形は有形の源とも見るべく有形の母なりと見なすことを得ん。故に無形の魂魄は肉体を育成し、心意を養成する力を有す。世人は現在盛んに電力を用いて種々様々便宜を与へられあるも無形が産みし有形なり。されど未だ電気はその一部にすぎず。世人の世界には無線電灯の設備すら未だ完備なし居らざるにてはあらざるか。又無線飛行機などの完成を見ざるにてはあらざるか。天界と自由に通話なすことをも得られざるにてはあらざるか。結核性或は神経痛又は癌腫など電気分解にて治療法も未だ完成なし居らざるも、我等は遺憾に思うなり。余事は別としてここに魂魄と云うも無形より現われたる力にして謂はば魂魄も半無半有として取り扱わざるべからず。あるが如くなきが如き姿なればなり。故にこの魂魄が或場合には気光素のはたらきをなし、又或る時は光気素のはたらきとなる。然してその結合が完全ならば自由に己の欲するがままの行動をなすことを得れども然らざる時は意の如くならずして心は苛立つなり。其は相対なるが故なり。絶対の境地に達しなば斯ることにならざるなり。魂魄完全に結合すとも半無半有のはたらきにまかせをかば其は肉体の有形にひかれて自然有形の力に囚はれがちとなるは当然なるべし。世人はこれらは到底理解することを得ざるならん。されど理解せずとも可なり。とにかく記憶しておかばよし。半無半有の魂魄は無形に組みすればその力増大し、有形に組みすればその力減退すと云うことだけは脳裏に深く止めおくべし。魂魄一体となりて有形の肉体にむかうは逆行にして複相対となるを以て迷いは益々深刻となる。無形の方向にむかわば即ち絶対なるが故に迷いはなし。然るに人は有形を目標として歩めど、無形の方向は危ぶみて歩みを進めざるものなり。其は決して無理ならぬことなり。故に生は有形なるによりて死の無形を恐るるなり。もし死後に有形の目標あらば死を喜びて進み行くならん。是等は道理を弁へざる故にて無限界の事柄を知り得たらば死を恐るるものにあらず。斯く語るとも世人は到底信ずるあたはざるべし。
 信ぜずとも可なり。せめては有形には限度あれど無形には限りなき事に留意し居らば自づと道は明らかとならん。生死を区別するは迷いなり。即ち有形無形を考ふるに等し。あると思うもなしと思うも是又迷いなり。有形のものは最早現われたるにより、是は明らめずともよけれど、無形のものは未だ現われざるにより是を明らむるは智慧なるべし。肉体は既に現われたるものにて滅することも既に判明なし居れり。されど判明せざるものは無と有の中間にある魂魄なり。その魂魄が肉体にむかわば滅することの判明せるにくみする故に自ら滅する一路を辿るの他なかるべし。されば滅するか滅せざるかの不明なる無にくみすることはきわめて不安なることにして、ここに魂魄は迷い迷わさるなり。故に悟らざるべからず。

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