覚者慈音510  三世と四世論   魂は霊を知らざるか  インショウ.ミキョウ貴尊講義

               三世と四世論
           未知日記第八巻
           第二の巻
           現在の巻        其の62
  第四十六     魂は霊を知らざるか                               NO2                
             インショウ、ミキョウ貴尊講述


 この悔い改むるとは即ち摩擦根が魂魄に同化したるか、或は強制的に追い出されたるかの二種に区分することを得るなり。強制的に追い出されたるものは恰も檻に入れたる猛獣の如く一度檻破りて出づれば却って大なる害をなす如く、摩擦根も一時改悟したる如く思はるれど再びもとに復せば従来より一層悪辣となるものなり。されば手なづけたる摩擦根ならでは所期の目的を貫徹するは難かるべし。手なづけられし摩擦根が魂魄にすべてをまかせて退くことによって真の人間性の徳は現はれて健全なる発展をなすに至る。
 強制的に追い出すとは如何なるを云うかについて語らんに、例へば好む酒煙草を無理に止めんとして苦しみたる如きは強制的抑圧に属すなり。すべてこの種の事柄より悪をすてて善にかへらんと、悪を無理に抑圧して善行をなすも帰するところは強制抑圧にすぎざるなり。さればその理より考究せばうなづくところあらん。又摩擦根を手なづくる方法は秘伝に属する関係上詳細の説明はなし難きも差支なき程度に於て語らんに、是は恰も鼠等を捕ふる如く摩擦根の最も好むものををとりとして、其に依って手なづくる方法なり。今是を具体的に語るべし。
 仮に摩擦根が酒煙草を好むか、碁将棋等に熱中するかを知るならばその好むものを止めをきて思ふがままにまかせおき、その熱中し居る隙をうかがいて魂魄の融和を計るなり。然してある時は好むものをやめては如何との自問自答を彼となさば彼はやめじと答ふるは必然にして是をしばしばくり返す毎に彼の好みは益々濃厚となるなり。然して其度を加ふるに従いて彼の執着は一方的に変ずる故に他の事には無関心となる。その期を逸せず魂魄一体の自問自答と拝みを続けて完全一体とならば既に彼は魂魄に化せられ行くなり。所謂彼の最も大切となすところを補佐する如く思はしめて周囲より範囲を縮小して彼をして如何ともなすべき術を知らざるに至らしむる方法を手なづけると云うなり。されば常識より工夫して研究すべし。是以上は語るを許されざるなり。此言葉に対して世人は思うならん。神は広大無辺盡々(じんじん)きはまりなきに、わづか人間界の如き小さきことに何とて秘密のあるべきやと。然り、然あるなり。神に何とて秘密のあるべき! 秘するは教主なり。教主と雖も決して秘して教へじと云うにあらず。例へば劇薬毒薬は一般人には販売せざる如く、教へて却って有害となることを慮って伝授を避け給ふなり。されど安心して教へらるるものには丁寧懇篤に伝へらるるは云う迄もなし。教主の教へざるも慈悲にして教ゆるも亦慈悲なり。角をためて牛を殺す如きは有害無益の結果となるを慮ってなりと知るべし。

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