覚者慈音509

               三世と四世論
           未知日記第八巻
           第二の巻
           現在の巻        其の61
  第四十六     魂は霊を知らざるか                               NO1                
             インショウ、ミキョウ貴尊講述


 今迄語り来るところより考うれば魄は魂よりすぐれたる如く思はるるならんも、其はあやまてる解釈にして魂には魄と異なるはたらきありて何れを兄とし何れを弟と定むるあたはざるなり。この事に関しては世人も既に理解なし居るならんも今迄魄の事を語りたる関係もあり且つ未知の人のため日本の神話を参考として語るべし。
 ここに兄弟の神ありて兄は海の幸を有し、弟は山の幸を有せり。或時彼等は互いにその幸をかわりみんとて兄は山に、弟は海に至りて試みたれど相方共に幸なきのみか、弟は兄の釣具を海に失いて泣き居たりき。時に翁の神現はれてめなしかごにのせ竜宮に送る。彼は竜宮に至りて釣具はもとより二つの珠を得て帰る。二つの珠とは一つは潮満瓊(ちょうまんけい)、一つは潮剋瓊(ちょうこくけい)なりと云う神話なるが、その神話の意味は那辺にあるかを論ぜんとするにあらず。魂魄の事柄を解せしむるには最も適当と思いて例にとりたるなり。即ち兄弟の神を魂魄と見なして観察せば山の幸なる神は魂に合い、海の幸なるは魄に合う。然して自らの使命を取り換へなば獲物なきとの理も論ずるの要もなからん。即ち魂は魂の役目、魄は魄の分に従へとの教へに合うなり。翁の神とは即ち霊に合う、又めなしかごとは善悪を鑑別せずとの意味に合うにより、何れにも偏頗(へんぱ)の処置なくとは霊光は善悪を論ぜずして和するとの意義に合うなり。二つの珠玉とは心意を現はすと見て考うれば心意魂魄霊の区別は明らかに推するを得るならん。故に魂にも霊の存在を知る力あることも察するを得るならん。魂も霊を知るなり。されど魂は魄より先に発達して肉体の支配にあたり居り摩擦根と融和なし居りて霊より遠ざかり居るため一時霊に背をむけ居るにすぎざるなり。是は魂は独身なりしためなりしに今や魄と云う妻をむかゆるに及んで一家は明るく輝きそめたるなり。我等初日を拝せりと云いたるも是なり。斯くなるに及んで今迄魄のつとめをなし居たる摩擦根はここに嫉妬心を起し魂と魄との夫婦間に何くれとなく障碍を与へんとするによって様々なわづらいとなるは世間一般のならはしなるべし。故に摩擦根に対して何等の処置もせず夫婦は唯享楽に浮身をやつし居らば、摩擦根の妬みは一層深刻となるのみなり。是を魂魄一体となりても霊に背をむくると云うなり。然りと雖も魂魄の夫婦となるに及んで昔に帰ればここに霊を思い出すなり。この時こそ大切なり。霊を思い出すとは妻をめとりくれたる親の情に感じたるに等し。親に感謝する心なり。されば今後親を忘れずば感謝の心も失はれざるべし。感謝の念には報恩の思いあるべし。報恩には情を伴う。されば魂は摩擦根に対しても情をかくる結果となるに至るべし。斯くなる時、愛に強き魄は如何でか是を妬むことをなさざるも当然なり。然して魂の情、魄の愛とによって摩擦根を遇すれば無智なる彼と雖もその徳に従いて遂には全く手なづけられて妬み怨みの態度を見することなきに至るも必然なるべし。斯くならば摩擦根は生涯加害をなさざるのみか奪いたる釣具をも返へして兄弟の融和を計るのみならず、心意と云う二人の子供をも与へ己はその子を守り育てて満潮干潮の道をすら教ゆるに至らん。人一度改悟すれば正となりて罪なしと云へる言葉の如く悔ひ改むる心に変ずれば魂魄は一体となりたるなり。

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