覚者慈音504 三世と四世論 魄と融和する方法  インショウ.ミキョウ貴尊講義

               三世と四世論
           未知日記第八巻
           第二の巻
           現在の巻        其の56
  第四十三     魄と融和する方法                                               
             インショウ、ミキョウ貴尊講述


 


 第二は事の善悪を明らむるを要す。世人は人間界の約束を確実に守ることをのみ考うるならば其はあやまりなり。もとより定めの法に従うは善に相違なし。されどその法を解きたる時は如何! 例へば盗みなす勿れとの法を解きて盗むも差支なしとあるならば、世人は如何にすべきか。必ず盗むならん。この理をよく考へ見るべし。世人の心は恰も手なづけられし家畜に等し。即ち定められたる法を習慣的に守りつつあるにすぎざるならん。是は摩擦根のはたらきにして魄のはたらきにあらず。然れども他人のものを盗むは我ものにあらざれば是を盗むは宜しからずとの法を定めしは、即ち魄の力なり。魄は霊より受けたる教へによりて是を知り、霊は神の御胸を知るによって盗みは悪なることを魄に通じたるなり。現在日本の忠君愛国思想は古来の風習を打破して忠君は破棄されたり。然るに木石にて作られたる無意味の像を尊み拝する行いを益々強うせんと宗教者は血眼になって鼓吹するとは矛盾も亦甚だしき事ならずや。天皇は木石にも及ばざるか。我等はその事柄の如何を語らんとするにあらず。世人の信仰は斯くもあやまりたる道を択び居らば現今の天皇の如く神をうとんずるに至るは火を賭るよりも明らかなるべし。斯くては人類の幸福はもとより永久の平和は難からん。
 其は兎もあれ魄の智慧ならでは真の善悪を知ることは難し。先に語りし盗みは解禁せられたりとも魂魄一体となり居らば決して盗みするものにあらず。魄は神の法を知るによってなり。世人は摩擦根を主として裏面に魄をしのばせあるにすぎざるが故にややもすれば人界の約束、法をも破るなり。然してのち魄にせめられて改悟すること多からん。かかる事にては何日かは真の人間となることを得んや。故に気にかかることは事の善悪如何に不拘その原因をたしかめて速に処理するを要す。斯くして心の騒乱を防ぎ冷静沈着となり居らずば拝みも自問自答も効果すくなし。ここに注意すべきことは気にかかる事の中に如何に原因不明の事に遭遇する事あるべし。斯る場合こそは好機至れりと思いて期を失せず、自問をくり返へしくり返へし彼か是かと質問を続くべし。然することによって疑問は晴るるのみならず、魂魄一体の望みは達せらるるなり。然して明確なる答へは得らるべし。即ちこの不明の気にかかることは動物根にては回答の力なく是を知るは魄なれど、魄は動物根に妨げられて回答なす事を得ずして質問の力濃厚となるに及んで摩擦根は追い出されて魄に徹しここにはじめて魂魄両者対面なすに至るなり。座禅の考案工夫とは自問自答と同種の法なりと考へて可ならん。世人は特に参禅して痛棒を味はずとも日々の業務に事欠かずして目的を達するを得ば幸ならずや。斯く迄語り来らば世人は不審するならん。何とならば魄はかくも霊の力を受け、或は斯くも霊を知りながら魂魄和しても霊に背をむけ居るとはしばしば聞きたり。是は如何なる事を物語るかとの疑問なるべし。依って次の講にて語らんとす。

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