覚者慈音474   三世と四世論  天に従い命を奉ずとは如何  第二十四  セイキョウ貴尊講義


       
三世と四世論

           未知日記第八巻
           第一の巻
           過去の巻        其の28
    第二十四  天に従い命を奉ずとは如何              
             リョウジャ、セイキョウ貴尊講述


 汝等父母を通じて此世に生をうけたるは何によるかを考へ見るべし。汝等云うならん。其は生理学上すべて地球に棲息する原理に基きて現はるる現象なりと。然らばその現象の起る原因はと次より次ぎへと追究の質問をうくればそは造物者の力なりとか、或は神の造りしなりとか、自然現象のはたらきなりとかより答うる他なかるべし。人智は先づ此程度にして未だ幼稚なるものなり。さればこそ汝等は十流界を脱するを得ざるなり。早く智識を求めて九流界の地球を建設せんことを望むなり。地球は空間を廻転しつつ太陽をめぐり居るを唯引力とか圧力とかによるとのみにて其以上の一大事を研究する智識なきは遺憾なり。兎角学者は説明に窮すれば不自然現象をも自然現象なりと逃げ口上をなす人は多し。斯る人に云はしむれば人間生れ来るも動植物の発生するも亦個々に有する特性の一切悉くを自然現象に帰せしめて神とか云うものは特殊に扱いて是は宗教者の資料の如く考へ居るなり。科学者には神など要なしなど公言して憚らざる不心得者すらあるなり。神は宗教者の専有物にあらず。汝等人間程尊きはなしと思うか。汝等は九流界のクゥワオにも遠く及ばざる智慧にて自尊心のみ強くなし居ては向上発達の望みは得られざるべし。門人は師に及ばずとの譬えあり。すべての芸術について考へ見る時弟子は師に及ばずとせばその弟子の門人は同様の関係となり、次より次へと重ね行けば芸術は向上するにあらずして退化の方向に向いつつ、最後はその芸術は亡ぶの他なかるべし。
 此事に関しては宗教の上にも濃厚に現はれあれば汝等も推知するを得るならん。何れの宗教も祖師に勝るものはあらざるなり。故に世の移り変るに従いて宗教は亡び行くなり。我等が語らんとなす処の天に従いて命を奉じて歩まば世は向上し発達して軈ては十流界も九流界の如く化せられるは事実なりと、我等はかたく信ずるなり。汝等は天に従はず命に反きて行動をなしつつあるによって逆行一路を辿り居るなり。例へば地球は太陽と反対に廻転するによって何処も平均して光明の恩恵に浴するを得るならん。汝等学理より理屈を云うこと勿れ。然るに我等は天より地上に下されたれば地と共に行動するは自然なりとて地球と同じ方向に進まば太陽の光明に浴するを得ざるべし。是即ち天理に反する故なり。又太陽に従いて巡行すれば光明に浴するを得れども大地の恵をうくる事は難し。是即ち大地の自然に逆行するによってなり。されば汝等は右すると云い又左すると争うは一方に偏し居るによって成立すべきものも不成功に終るなり。自然と不自然の道理を詳らかに知りて自然に順ずるを天に従うと云うなり。即ち大地に置かれたる肉体は地に従はしめ、天にかへる魂は天に従い行動するにあらざれば真に正しき天に従いしとは云い難し。人情の悪しきを厭いて出家遁世する人は地の恵を捨てたるなれば却って一方に偏する故に難行苦行は免れざるなり。誰かの道歌に、「世をすてて坊主になるなさかな喰へ、地獄に行くも鬼に負くるな」と云う句がある。人は健康なる肉体をそなへて居なければ艱難労苦には堪えざる事の教へなるべし。近代の僧達は肉食妻帯してその結果は宗教の商売人となりしも滑稽なり。余事は別として出家遁世するも迷いにて享楽三昧に世を送るも亦迷いなり。一方に片寄らば結果は失敗に帰すること多ければなり。故に天の恵地の恵の徳の両道に順応してはじめて大なる結果を現はすは明らかなる道理なるべし。然して命を奉ずとは天より命ぜられたる事柄をよく守りよく行いてなし遂ぐるを云うなり。汝等人より事を依頼せられて報酬を先に考へ或は報酬に心奪はれて事をなさば其は命を奉じたるにあらずしてものを売りたるなり。汝等天に任務を売らんと計るともそは無益にして天は購い給はざるべし。天の命は念に念を入れて報酬などを除外視して責を以て順じ居らばそのはたらきに従いて報酬は下さるるなり。故に真心より命に応ずるを命を奉ずると云うなり。

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