覚者慈音473

                                       三世と四世論
           未知日記第八巻
           第一の巻
           過去の巻        其の27
    第二十三   智識程度と人間性との関係              
             リョウジャ、セイキョウ貴尊講述


 人間性は智識なきものには得られざるかとの疑問を起す人も少なからずあるならん。世の中には教養高くして人道をあやまりて身を亡ぼすもあり。又是と反対に無教育者にして世間より感心せらるる人もあるを見ても智識の有無に不拘人間性は得らるることは確実なり。前にも語りし如く人の組織は半動物半人間にて作られたればなり。其が人間性を発揮すると動物性を発揮するとの相違あるのみにて、智識とは別の関係なり。世の中には悪智慧すぐれたる人ありて世間より彼はあの智慧を善事にはたらかさば世を益するならんにと惜まるる人もあり。是等の人は動物性には智慧すぐれたれど人間性となりては案外智慧ははたらんぬものなり。是に反して善事には智慧すぐれ悪事には無智なる人あり。かかる人は世間よりは偏屈者なりとて余り人は近寄らぬものなり。故に前者には人間性教育によって後者には動物性教育によって導かずば改むるものにあらず。智慧は湧き出づる泉の如く天より授けられし清水なれば如何なる方面にも同化す。用法によっては毒水とも亦良薬ともなるなり。人間性を得るには智識の有無に不拘求め得らるるなり。否々天より授かりたるなれば求めずとも受け居るなり。唯人は其を知らずして終るは多し。我等は是を汝等に知らしめて動物性より度脱せんことを望み居るなり。汝等は我等の言葉を信じて善悪何れにも偏らず中道をわたりて生を求めよ。然らざれば智慧は得られじ。智慧は汲むに任かせて湧き出づるなり。汲めどもつきざるは智慧なればその智慧をはたらかせて動物性を度脱し更に進んで人間性を解脱して大自然の懐中に抱かれて自由の身とならん事を願うべし。
 或聖者の言葉に「無智者は天を求め、智者は地を求む。故に無智者は天の高きに救はれ、智者は地の低きにおとされる」と。真にうべなるかな。うがちたる教訓なりと我等は称賛す。汝等この言葉を翫味し見るべし。即ち無智者は己の智慧に及ばざる時は直ちに神の力を求めて祈るなり。所謂かなはぬ時の神だのみと云う俗言の如くなるに依って知らず知らずの間に神の心は無智者の頭に宿るに至るなり。されど智慧あるものはその智慧によってすべてを己がままに処理するによって神の存在など眼中になし。故に彼には天の高きを知らずして下界にのみ憧れて大自然より遠ざかるにより地にをろされて長時の苦痛を味うに至るなり。かく考うれば無智者にして神を知るものは幸福なり。何となれば神は彼と共にいませばなりとも云うことを得ん。されど智ありて神を知る是にまさる事あらんや。現代汝等日本人の中にはヅルチンなりと云へる流行語あるを耳にす。(ヅルチンは煮る程甘くなる薬剤なりと云う)。その意味は彼は横着者との事かと思へば然らず、交はれば交はる程甘き人物なりと云うなり。汝等信仰の度を重ねてヅルチンの如くせよ。呵々。



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