覚者慈音470

           三世と四世論
           未知日記第八巻
           第一の巻
           過去の巻        其の24
    第二一    果して天眼通は得らるか              
             リョウジャ、セイキョウ貴尊講述



 汝等人間に生れしは是あるによって誇りともし、又喜びとするなり。他の動物の中にも通力を有するものあれども天眼通を有するはすくなし。されど稀にはあるなり。然りと雖も人間の如くにはあらざるなり。他の動物には幾度も生死の苦を重ねての後にあらざればなし得ざれど、人間はすべて天分を許されあるにより最早かかる苦行の必要はあらざるなり。されど未だ動物性よりまぬがれざればこれを脱せずば到達することあたはず。故に修行と云うは唯動物性と云う垢を脱落せしむれば残るは即ち天よりうけし使命を完全に果し
たる人間となりたるのみなり。此人間となりてはじめて天眼通は得らるるなり。汝等は天眼通と云へる事に対して曲解なし居ることを知るによってここにいささか語りをくべし。
 即ち汝等は宗教の説く天眼通或は神話伝説又は小説によって聞きたる話、其に加うるに魔法魔術などを混想して小乗的に天眼通或は地眼通を考うるならん。故に天眼通を得たる人は既に神か仏のものの如く思い居るなり。然れども事実は斯るものにあらず。天眼通とは感応論光明論に於て語りある如く神の世界の放送局より発する事柄が霊と云う電波にて人間と云う受信機に感ずるを云うにて汝等が想像なし居るとは大差ありと信ずるなり。故に動物性と云う空電にわざわいせられて従来は感受するを得ざりしなり。故に動物性を除去せざれば空電にさまたげられて明確に感受するは難かるべし。慈音は五大鏡を見聞し八大門を見学し或はすべての教へを授けらるるも即ち天眼通を得たるに依ってなり。慈音の如き不具者と雖も動物性より解脱して天眼通を得たる事を知るならば五体そなはりて健康なる汝等にして得られずと云うことあらんや。ならざるはなさぬ故なり。なしてならずと云うことなし。汝等動物性の小我を捨てて人間性の大我を得ては如何。然して己等の永住すべき住居を見定めて下界の任務をなし居らば安楽なるその日その日は是好日なるべしと我等は思へど、汝等は如何あらんか。よく考へて理なりと思はば躊躇せず実行にうつすべし。我等汝等の行いを見るに書籍を読み教へをうけて理なりと思いながら行為にうつす人の少なきは遺憾なり。汝等天眼通とは大空を仰ぎ見ると同様に思はば大なるあやまりなり。如何によく見ゆる眼なりとも其は不可能なり。又如何に修行すとも竿に依って星ををとさんとなすに等しくして到底希望を達するを得ざるなり。汝等斯る考へを夢想だに起すこと勿れ。又地眼通については汝等は天眼通と同時に得らるると思い居るならん。されど其は然らず。天眼通は恰も米麦が穂を出す如く人間性にあたへられたる特性なれど、地眼通は修行せざれば得られざるなり。故に万人悉くとは云い難し。是等の詳細は未来篇に於て語るべし。又汝等の中には動物性を脱せずして天眼通を受け居るもあり。されど是等の人は理論を知りて得たるにあらねば迷い多くして確実ならざるなり。されば行じて得たるにあらざれば信をおくに足らざるは云う迄もなからん。


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