覚者慈音464

未知日記全集
           
三世と四世論
  
           未知日記第八巻
           第一の巻
           過去の巻        其の18
    第十五   生に従うか、はた死に従うか              
             リョウジャ、セイキョウ貴尊講述


 汝等よく口にする生は難く死はやすしの言葉は如何なる意味の生死に使用する言葉なるか。我の思うところにては肉体の死活を云うならん。もし我の考えの如くなりとせば汝等は未だ生死の真相を認識なし居らざるなり。肉体の死活はもとより生死なれど斯るものを明らむるは何等の手間を要すべき。斯る事にこそ生れざりし昔と思うもよく、又武士道精神とは死することなりと云うにても可ならん。されど斯る浅薄なる生死ならば泡を飛ばして論ずるの必要もなかるべし。されど我等の語る生死とは汝等も心づきて是をはきちがえ居る事と思うなり。即ち汝等が日常生活こそ真の生死なれど汝等は死と云へば肉体を棄つるとのみ誤解なし居るによって正しき生死の明らめをなすを得ざるなり。今眼(まなこ)を下して汝等の世界を観望する時、生きたる人間の稀なるに驚くなり。生きたる亡者の多きことよ。わけても欧州と云い東は支那日本インドその他すべては死人の山をなし居るにてはあらざるか。或は餓鬼道に或は修羅道に或は畜生道に墜ちて阿鼻叫喚のあの声は汝等が耳にも聞こえ眼にも日々の報道に見聞なし居るにてはあらざるか。生死の明らめの艱難なるとは是を云うなり。故に汝等この生死の修養によって速にまぬかれんことを勧むるなり。
 汝等は平常の生死と臨終の生死とを切りはなして、臨終の生死に重きを置くによりて却って真の生死を明らむるを得ざるなり。早くめざめてさとりを開くべし。或学者は云う、禅家は肝臓に依って生きよと教へ、法華は心臓に依って、浄土は肺に依って生きよと教へ居れり。面白きたとえならずや。されど是等が三味一体ならずして生くることは難からん。真の生は難く死はやすし。遊里に足をふみ入るるは死するなり。されど苦き教へに従うは難からん。我、先に語りし太陽の光を追うて進まば暗はなく、是に逆行すれば明はなしと云いたるもこれなり。生より生に進むもの、死より死に進むものこれ明暗の相違なり。暗を求むるものをめざめしめて早く光明の光をあたへよ。然らずば生きたる亡者は浮かばれざるべし。汝等昼の旅を好めど夜の旅は好ましからざるならん。されど盗人は反対なり。彼等は死せるものなれば何時かは役人と云う鬼に捕われて地獄に投ぜらるるなり。正しく生きる人には役人は仏に見え、悪人には(即ち死を追う者には)鬼に見ゆべし。我宗教くさき事を語りし如く思はるれどよく考へ見よ。故なき事にはあらざるならん。汝等生の旅を続くるや。但し死の旅を続くるや。はた又半生半死の旅をなすや。其汝等の心にまかせん。汝等早合点すること勿れ。是は一見理解せし如く思はるれど容易の事にてはさとり得ることは難かるべし。汝等は肉体を放棄せずば後生にあらずと考うるならば其はあやまりなり。昨日は過去、今日は現在明日は未来即ち来世なることに留意せよ。否其にても未だ正しからず。一分前一分後を考へて考究せよ。否一秒を以て考究せば来世より来世へと移されつつあることを見るならん。是等のことより考へて汝等は生に順ずるか。死に順ずるかを定めよ。滅後は一秒時にせまれり。

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