覚者慈音446  テツシン講録再読篇  テツシン貴尊講義

テッシン講録再続篇 下      未知日記第七巻



       むすび         
                     その46
       
                     第四の巻
                      
                    テッシン貴尊講述



我、テッシン汝等に告ぐ。
此講演はセイキョウ及びミキョウをして、代講せしめたれど其責任はもとより我の負ふべきは云ふ迄もなし。此書は初心者の為に講話したるによって、一人にても多くの人が人道をあやまたず歩み正しき信仰に入りて天命を全うせば、我等の喜び何に喩えんよぅもなし。此書を学ばんとする人はよくよく熟読玩味して心の底深く会得せずば、正しき悟りは得ること難し。わけてもミキョウが上下二巻の講義は非常に苦心して講話したるなれば、唯素読しては、何等の効果もあらざるなり。されば読みては考へ、考へては読み、再三再四読みかへして其真髄に触れざるべからず。とりわけ下巻の拝み、拝みについては上巻の干支九星の法と対照して考案工夫して行ぜんことを勧むるなり。特に心すべきは肉体拝に対する一二支、精神拝に対する十干、霊拝に対する九星についてなり。
 即ち一二支によって肉体の個性を知り、其に相当する拝みを行ひ、更に十干によって精神の変化を求むる拝みをなし、九星によって干支が有する使命の監督者を見つけて、其に順応する道を推知するは、即ち拝みの秘訣なりとさとるべし。
 拝みとは配るの意味も含まるるなり。心を配る。気を配るも拝みの法に合ふなり。例へば子の個性の人は、子丑虎卯の四つは肉体期、辰巳午未の四つは精神期、申酉戌亥の四つは霊拝期なり。
 又丑の個性ならば丑寅卯辰の四つは肉体期巳午未申の四つは精神期、酉戌亥子の四つは霊拝期なり。とにかく自己の個性より最初の四つを順に算へて肉体期、次の四つを精神期、更に最後の四つを霊拝期と通算して拝みを行ふべし。然して十干の甲子の個性ならば是を基礎として配分すべし。是は肉体精神に通じて行ふを要す。汝等よくよく己の智慧を働かせて修行せよ。
一より十迄仔細に教へを受くれば其にて終りとなりて行は進まず。学ばずして道を知らばさとりは得られざるなり。何となれば学ばずして道を知るとは唯教へをうけたるに過ぎざる故なり。学びて道を知らば血となり肉とならん。ここに是等の注意を与へて此講の結論として終りとす。
 尚次にはセイキョウとミキョウが合作して、三世論及び因果論を解説する由なれど、現在慈音は教主より命ぜられたる行は、今や高潮に達して苦げなり。故に暫時、彼に余裕を与へ、機を見て講義することとならん。
      ( 昭和二十二年三月七日から四月二十三日 )

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