覚者慈音444

テッシン講録再続篇 下      未知日記第七巻



霊波伝道と感応伝道について          其一
                     その44
       
                     第四の巻
                      
             インショウ、ミキョウ貴尊講述


 すべてを救済する方法は種々あれど、是を大別すれば霊波伝道と感応伝道の二種となる。霊波伝道は相手に愚斯くせしむる法にして、感応伝道とは相手に満足を与へて悟らしむる法なり。是等は同様の如く思はるれど、決して然らず。自覚せしめて道につかしめなば必ず成功す。されど感じて悟りたる導きはややもすれば中途挫折する憂ひあるにより終業する迄は見守らざるべからず。大悪人が一度心をひるがへし、善人となるは自覚より現はれしものに多し。されど感応による改心者なりせば再び悪人にかへる事も亦多かるべし。
 先づ感応伝導より語らんに、人をして感応導交せしむるにはすべての事柄に精通したる人にして初めてなし遂げらるれど、何をも知らずしては決して目的は達することを得ず。或人、妻に死別して悲しみ居たりしに多くの親友知己よりとやかく慰めの言葉を贈らるるも余りに感銘せざりしに、或親友より、「我に覚えあり、察する」と云ふ電報を受けて初めて心の底より満足なる慰めを得たりとて、感謝したりしと云ふ話を我は聞きたり。此電報は普通の言葉にして名文美文にもあらず。されど我に覚えありと云ふからは、彼も妻を失ひたる人なる事は察せらる。此人にして真の思ひ遣りはあるなり。此思ひ遣りこそ彼の心底に和して感応導交を与へたるなり。病める者の苦みを知るは病みたる者ならでは知るあたはず。故に思ひ遣りの力は鈍し。感応伝導とは帰する処思ひ遣りの働きなりとも云ひ得らるべし。
 先に感応論に於て貴尊の仰せられし如くなり。他より恵を受けてもさのみ感謝の心のうすき人は思ひ遣りうすくして念力に欠けたる人なり。斯る人達ばかりにては世は保たれざるべし。故に人類向上の道も亦開かれず。されば天界を知るなど思ひもよらぬ事なり。とかく思ひ遣りと云ふことは、云ふべくして行ひ難く、又教へられて行為に移すことも難し。病める者の枕辺ににて種々様々言葉して慰めんとするも真実思ひ遣りなければ病める者は却ってものうく感じて、早く枕辺より去らんことを望むなり。されど心底より思ひ遣り深きならば病苦にふれず、他の言葉を以てして彼を慰むる故、苦痛を忘れて長く枕辺にあらんことを望むなり。思ひ遣りとは斯くも力あるなり。感応伝導は即ち思ひ遣りを基礎として共に和し、然して次第に善導に導き誘ひて道をあやまらしめざる法なりと知るべし。是には巧妙なる暗示を必要とするなり。
 例へば病人に対して病気を語らず。病人の喜びそうなる話にて一時にても病苦を忘れしむる暗示の一種なり。又心配事ありて悩める者にも其相当の暗示を送りて、苦悩の種子を除去すれば治癒することは疑ひなし。故に人を導くは暗示の正しく勝れたるにあらざれば通ぜず。ここにいささか横道に入れど序でなれば暗示と気光素の関係について参考迄に語りおくべし。

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