覚者慈音434

テッシン講録再続篇 下      未知日記第七巻



第九期の拝みは如何にすべきか       其一
                     その34
       
                     第四の巻
                      
             インショウ、ミキョウ貴尊講述


 世の中の信仰者の多くは肉体本位の信仰者なるにより、いささかの病苦に堪えかねて知識階級の人と雖も迷信と知りつつ迷入りて、万一其病が行者によって治癒すれば是を信ずるに至り、「欺かるると思ひて、彼に到れよ」と勧め、恰も水の流るる如く、次より次ぎに奨めらるるために信仰するなり。愚者は殊更智識者の信ずるに化せらるるは当然なるべし。是流水暗示の働きにして斯くなりては最早行者は眠り居て効果は現はる。即ち暗示は大海となりたる故なり。されば今我が語り居る第九期末の働きは流水暗示作用かと云ふに其は相似て異なるなり。
 流水暗示の川は其々特徴を有すれども九期拝には斯る範囲の狭きものにあらず。周囲に来る人の信仰の有無に不拘、慈悲の徳は現はれてすべては救はるるなり。持続同化(流水暗示)を大海と見なすなれば、慈悲同化は大気の如し。持続は水と云ふ実在に傾けど、慈悲は大気なれば空なるにより、動植物一切衆生を化せしむる働きを有するなり。是は決して机上の空論にもあらず。又空しき空想にもあらざるなり。先にも語りし如く人にも亦動物に於ても霊を有す。
 霊は空にして同化性素質を有するによって、同化して一如となるは学理に於ても証明するを得るは難きにあらざるなり。我、動物にも同化素質ありと語りしにより、世人はいささか疑問を抱くならん。先に語りし泰岳は猛獣に対しても同化なすによりて、彼の傍に来らば恰も犬猫の如く、頭を垂れて親しみなづき、喜び、彼にたはむれ遊び、虫類も彼に近寄るも害することもあらざるなり。是に依っても霊の同化は察せらるるならん。されど人間の同化力に比して他の動物は智能の点に欠け居ればその働きは劣るなり。


人は同化によって霊より受くる智慧は働きを増して、或程度迄は高めらるるなり。水は方円の器に従ひ、人は善悪の共によるとの諺もあるなり。されば徳高き人には寸時にても接迎して、其徳に浴さんことを願ふべし。同化の力は不知々々に化せられるものにて悪にも亦同様なり。されば悪人はなるべく避くべし。されど是は行ぜざる人にのみ注意するなり。修行積みたる人ならば悪に交はりて善に化せしむべし。


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