覚者慈音433  テツシン講録 第九期の拝みは如何にすべきか  インショウ、ミキョウ貴尊講義

テッシン講録再続篇 下      未知日記第七巻




第九期の拝みは如何にすべきか       其一
                     その33
       
                     第四の巻
                      
             インショウ、ミキョウ貴尊講述


 其は何かと云ふに近来宗教の自由は許されたる結果、各処に不正の徒はびこりて種々様々異法を行ひて弱者を迷はして私腹を肥やす不逞の不所存者現はれたるにより、彼等の魔手にかからざるよう教へをなさんと思ふなり。我、今語りし百千の人を一時に救ふ事を得と語りしにより、世人は近来流行し居る邪宗者の行ひ居る行と混同して考ふる事を恐れてなり。彼等の行は流水暗示と称して我等下界に行ぜし頃、各所に行はれし法力なれば此理より、先づ説明して迷ひを解かんと思ふなり。其には根本原理を明らむれば容易に理解するならん。
 先づ人には同化性素質を有す。この素質あるによって和合し、或は不和合性を惹起するなり。即ち和合するは同化の陽に合ひ、不和合性は陰に属せど、帰する処は同化性の働きなり。この同化性素質あるによって夫婦は成立し、親友は成立す。行者は是を利用して諸々の行を行ふなり。故に行者は一人の囮を用いて多くの鳥を捕ふることを得るなり。是を流水術と仮称す。是即ち濁れる水に清き水を注ぐとも濁りに化すとの理論より斯くは名づけられたるなり。
 同化性素質とは人根、人の根なり。人の根即ち魂を云ふ。魂、是根なり。魂は根に通ず。人根には賢愚の別なく貴賎貧富の区もなく、相等しき純なるものなれば、根に返れば即ち一なり。恰も水の其如く一如一体なれば、同化性素質あるは推して知るべきなり。是を認識するを得ばすべては明らかとなるべし。ここに一つの例をあげて参考とせん。
 先づ此処に一人の技術拙き医者ありとせんか。其医者が技術拙きを知りながらその技術を磨かんとせず、唯多くの患者を集めて財宝を得んと計りて、さも名医をよそほいひて病人にあらざる健康者を病人の如くよそはせて何処の名医にかかりしも根治せざりしに、彼にかかりてわずかの間に根治せりと宣伝せしむるとせんか。其事を聞きたる患者はその話しによって心底に感ぜば、其が同化性に移されて暗示となるにより、其医者の門をくぐれば既に半ばは病気は治癒したる如く考へらるるなり。然して薬石の何なるかを嫌はず大抵の病は治癒す。されど難症は治癒したる如く、精神には感じらるるも事実は然らずして死するなり。然るに患者の家族は医者を信ずるが故に、彼によって治せざるは運命なりとして諦むるは一般の人心にして、斯る医者こそは憎みても尚余りあるなり。是等は流水暗示法の一種に属す。又悪質の行者の中には共謀して其者を路傍に行き倒れしめ、衆人集まりし頃を見計らひて立ち至りて怪しげなる法を行ひて蘇生せしめし如く装はせて、衆人を引き入れて漁夫の利を得るのみならず、邪道に多くの人を引き入るる不逞の者もあるなり。斯る事を列挙せば枚挙に暇なし。世人は斯る行為に迷はさるる勿れ。 

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