覚者慈音431


テッシン講録再続篇 下      未知日記第七巻


第九期の拝みは如何にすべきか       其一
                     その31
       
                     第四の巻
                      
             インショウ、ミキョウ貴尊講述


 或人旅先の峠の茶店にて厠をかり用を達し居たるに、何処ともなく芳香ただよひて臭気を感ぜざるに不審を抱き、仔細に見廻したるに。厠の柱は古今に稀なる香木なりしかば、茶店の主人より高値に是を買い入れて我家の床柱となして、数多の人を招待して是を示めして誇りたり。多くの客去りて其夜一人のみめ美はしき女、主人の夢枕に現はれて云ふよぅ、「妾は床柱となりたる香木の精なり。元来妾の本性は悪臭を防ぐは天の使命にして育てられたるなり。然して厠の柱とせられて多くの人に快感を与へて使命を全うしたるに満足を感じ居たりしに、今床柱とせられてわずかの人より珍重せらるるとも、妾は決して喜悦にあらず。願はくはもとに移して使命を果さしめよ」とて泣きたれば、主人は己の非を悟りてもとに返し、然して彼は大いに悟る処ありたりとと云ふ。此道話は修行する人々にとりての重要なる参考資料なるべし。
 深山の奥に咲く花は旅する人の心を浄化むれど里に多くの咲く花は人の心を傷くること多しと云へる言葉は、真に味ふべき言葉ならずや。旅をして山路を喘ぎ歩く時、谷を隔てて咲く一本の花を見たる時、真に心の底より慰められたる感じは忘れ難し。満山悉く花又花に至っては、寧ろ花より団子の楽みに過ぎざるならん。すべて世の中の人の心には斯くの如く矛盾したる事の多ければ言論の断えやらずして、完全なる道理を求むるを得ざるなり。故に言葉巧なる人は理を非に曲げて是を理と思はしむるに至るは一般のならはしにて、学者は道理を悟るを得ざるなり。故に世人は自らの個性を認識するを得ずして迷ふならん。彼の香木の如く己が使命を知るならば迷はず甘んじて厠の柱とならん。然るに世人なりせば自己の芳香の力優れたれば厠などの柱となるべき。床柱となりて珍重せられんと望むならん。故に使命は果されざるなり。床柱になりたるは人爵を得たるにて厠の柱となりたるは天爵なり。世人は此理より考察して天爵と人爵の相違より深く道を求めざるべからず。銘木なるが故に床柱たるか。香木なるが故に臭気を防ぐ厠の柱たらしむべきか。何れを是とし何れを非とするや。他に類なければ又と得難し。是を厠の柱たらしむるは余りに情けを知らぬ行ひなりとの考へより、さては床柱たらしめたるならんも、是は情けにして慈悲に合はざるなり。甚だしき至っては此木を倉庫に蔵して永久用をなさしめざるもあるならん。もとより此話は比喩なれども、世の中の多くの人は床柱を望むは多く、厠の柱を厭ふも亦多かるべし。多くの人より推されて上位に坐す人ならばまだしも、己進んで上位に座せんと人を欺き媚びて、やがて其事の成就せば、人を眼下に見下して顧ず、平然たるは如何に罪悪の甚だしきか。天は彼に如何なる報酬を授け給ふや。世人は是を知らざるならん。我等は知るが故に斯る徒輩に憫を感ず。世人よ! 心して斯る罪悪を敢てなすなかれ。余事にわたりて申訳なし。話を進むべし。


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