覚者慈音401

テッシン講録 未知日記第七巻
仙人の修行  円海大師の霊的修行
                その2
             
                第三の巻
                ミキョウ貴尊講述


 或時一人の優れたる行者、師の坊を訪ねて、師と相語り居たりし時、泰岳も傍にありて話を聞き居たりしが此時師の坊は泰岳にむかひて、汝此師に何か教へを仰ぐ事なきかと問へば、彼は相不変知らずと答へたり。愚物なる事を聞き知りたる行者は一個の仏像を示めして是は何なるかと問へば、泰岳は言下に玩具と答へて平然たるに、行者は是は玩具にあらず。尊き仏なりと教へしに泰岳は唯笑ひて行者の顔を見居たりしが、軈て云ふよぅ、師は是を拝するかと問ひ返せしに、然りと答へしかば、泰岳は仏像に眼を遣りながら、「そちは仕合せ者よ。何等の行もせず、拝まるとは」と言ひたりしに、さすがの行者も感心して、「我は汝に教ゆるにあらずして、汝より教へられたり。我、汝に遠く及ばず」とて泰岳を拝したり。
 泰岳は如何なる行にも常に嬉々として苦み悲しむの色を見せず、喜びて行に堪えたり。又彼の肉体を愛することは一般人の到底真似もなし難き底のいたはりいつくしみなり。故に彼は病苦と云ふ事を知らず。健康とは彼を指すなりと師の坊も舌を巻きたり。彼の養生法は天理に合ひたればなり。食事は他の者の半分を摂取して体力は衆に勝れたり。彼は冬こごえず。夏暑からぬと云ふ養生法をなして、寒暑の苦を知らざるなり。好むとて多食せず好まぬ食とて少なからず。然も寒暑を通じて単衣一枚にて事たると云ふ健康にて肉体を愛撫なし居れり。
 然して彼は血液の混濁する食物は摂取せず、皮膚を清浄ならしむるはもとより。皮膚の汚れを厭ひて垢づきし衣を着用なさざるなり。愚なる彼には肉眼心眼の道理を知らねど、霊の力神の力を有する彼なれば、斯くの如く天理に合はしむるなり。故に彼は神を知りて神の命ずるが儘の行動をなすによって些かの不安もなく、彼によって多くの徒弟は化せらるるも皆霊の威徳なりしなり。故に彼は一面に於ては己を捨て、又一面に於ては己を愛す。所謂彼は神と己とを結ぶ絆の人なりとも見なすことを得、霊の信仰者とは先づ斯くの如きの類なりと知りて工夫せば求むる処は少なからざるべし。
 我等の同志は昼は肉眼によりて事をなし、夜は心眼にて事をなすによって暗黒の悩みは毫もあらず。又心眼を開けば地球到る処の様は見え時々刻々に移り変る姿の事柄は掌中の物を見る如くにて、却って不快を感ずることあり。斯る現象は決して迷信にあらず。又学理上に於ても充分真ををく理由はあるなり。現今各国に於て行はれある千里眼等の如く、如何はしきものにてはあらさせるなり。心眼をあげて天界を望めば其様の余りに広大なるに一驚を喫する事少なからざるなり。余事はさてをき自覚信仰とは恰も泉の湧き出づるに等く、他より教へらるる信仰は泉に入り来る埃の如く一時濁るに過ぎざるなり。 
 


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