覚者慈音396

未知日記 第十巻  帰途案内記
最終の巻




                      その50
二流界、仮称霊空界の人類について                          
                  セイキヨウ貴尊 講述


 二流界の人種はすべて愛の世界なり。憎むと云ふことを知らず唯愛の力によってすべてにあたる。又信ずるが故に疑ふことをせず、信によって結ばれ居るが故に世は乱れざるなり。もとより魂魄界以下の人種と雖も皆然り。されど二流界の如き程度迄は達し居らざるなり。既に二流界ともならば絶対の交はりにて、万人悉くが一体化なし居る生活にしてすべては一如なり。此事柄に対して世人に知らしめたきことの数々は多けれども、言葉を以てして諒解せしむることは至難なり。故に我等は苦む。例へば此界の人が眠り憩ふ等のことはあらずと語らば、世人は如何に考ふるや。眠らず憩はず絶間なく働きを持続し居ると聞かされなば、斯る忙かしき生活をなし居らば我等はその苦痛には、堪え難からんとのみ考ふる他なかるべし。分時も憩はずして働くことのみなす事を得んやと考ふるならん。然るに二流界の人は事実なし居るなり。眠らず憩はずして唯神の使命に順じて働き居るなり。世人は斯る忙はしき世界に行くを好まざるべし。真の極楽界と云ふはこの世界を云ふなりと語らば、世人は如何に考ふるとも解することは難かるべし。是は僅少の一事にすぎず。故に世人に対して我等はその真相を語るに苦む。二流界と雖も汝等の世界の如き所もあるなり。此世界に住みながら其悉くを彼等は智識によって、種々様々改善して真の極楽世界と変化せしめ居るなり。されど彼等は自然を克服したりとは云はずして、唯自然の力に感謝なし居るなり。もし汝等の世界に二流界の人到らば、世人の地球も彼等の智慧によって改善せられ、全く極楽界と変化せしめらるるならんと我等は思ひ居れり。かく語るとも世人には到底理解すること難からん。そは無理からぬことなり。何となれば世人の耳目は不完全にして、見聞の真を味ふこと難きが故なり。日本の伝説に富士山は一夜にして突出し、琵琶湖は一夜にして陥没して現はれたりと語り居るにてはあらざるか。是を現在の学者に語るとも信ずるものなかるべし。愚者は神の力なりと信ずるやも計られず。是を我等に云はしむれば其は事実に於て二流界の人ならば必ずやなし得るならんと信ずるものなり。されど日本の場合は斯ることは信じ難からん。唯お伽噺として聞くの他なかるべし。此伝説は如何なるところより語られしかと云ふに、孝安天皇が三月一五日より富士及び琵琶湖と命名して勅を下せしによって、一夜に両者が現はれし如く伝説として後に、面白く作られたりと云ふことを我等は聞きたり。その真偽の程は我等も知るによしなし。富士の山琵琶湖も以前より現はれたれど、其名を天皇が命名なされしと云ふならば、一夜に二つが現はれしと云ふも別段不審はなかるべし。
 すべて物事は間違ひは僅かの原因が種々様々変化すること極めて多し。富士山琵琶湖の事などはその事実は如何ありしかは我等知るよしもなし。余事は別として二流界の人類ならば、汝等の地球も種々様々改造せられて、住み易き所と化せらるる事も容易ならん。智識の程度は世人との隔かばかり大し。故に我等如何に語るとも世人には解し難きことも、無理ならぬことなりとは云へ、語らずば世人を導くことを得ず。されば我等の説を夢物語の如く思ひて聞くも可ならん。又是を信じて己の智識を拡大する資料となして聞くもよし。何れにもあれ、我等は任務なれば余儀なく語りをくべし。


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