覚者慈音385

未知日記 第十巻  帰途案内記



                      その40


 三流界の人類の生活について                          
                  セイキヨウ貴尊 講述


 先にも述べたる如くチは破壊にして、シュは分解、然してキュは融和に相当することに心つくならん。是をジョウの組織迄至らしめずば完全なる一体を計ること難き理も推して知らるるならん。魂魄界の世界に於てすらなしてならざる事なき程度迄は進みたるに不拘、尚も斯る欠陥のあることに気附づくならば、修養修行の如何に困難なるかを知ると共に、修むれども尽きざるはたらきあることに一驚を喫するならん。兎に角理を非に曲ぐる智慧のはたらきは至難にはあらねど、非を理に直くするは困難なるべし。兎に角理屈する間の智慧にては、未だ正しき常識のそなきり居るとは云ひ難し。魂魄界の程度迄進みても未だ甲論乙駁の論説はあるなり。是あるが故に智慧は進み又行力も進みて尽きる処を知らざるなりと知るべし。
 既にジョウの階に進まば斯る事のあらずして理も非も曲直もすべては影を没して飛散す。故に是とか非とか云ふ区別もあらざる程度と化せらるるなり。世人の世界は複々相対のそなはりなるが故、我等の語る説に対しても信ずることあたはず、彼是種々様々の事柄話を引用して、其によって理を非に曲げんとする悪癖あるが故に、その真を究むることあたはざるなり。話を聞きても然あるかと心に描きながら、尚もその説を否定せんとはかる如きは、即ち複々相対の人類が摩擦力を盛んにして、其によって人智を進めんとはかり居るによってなり。さればこの悪癖を善癖に改めて用いなば、智慧は従って正しき方向に進むことを得るなり。悪癖をそのままに用いて棄てざれば、退歩より退歩へと逆行する怖れあるによって注意せざるべからず。我等は世人に対して我等の説を鵜呑みにして信じよと云ふにはあらず。信疑こもごもはたらかせて摩擦を生ぜしめ、然して我等の説に対して歩みを進むるによってこそ、我等と世人とは従って距離は縮小されて接近するが故に、我等の使命は果さるるなり。信ずべし。疑ふべし。疑ふも信なり。信ずるも疑ひなり。信疑一体となりても尚摩擦はあるなり。摩擦に依て智識は進む。所謂前後の歩みの如し。先にも語りし如く一歩進むと思ひ居りても其は二歩進むと語りしは是なり。一歩進めば退進の二歩進む結果となる如く、疑信二歩づつ進によって信は得らる。是が信疑の歩みとならば所謂退歩する他なきなり。

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