覚者慈音384

未知日記 第十巻  帰途案内記




                      その39
 四流界の人類の生活について
 更に、三流界の人類の生活について                          
                  セイキヨウ貴尊 講述


 世人の世界にありて肉体を有する間にこのキュの智慧そなはらば、居ながらにして空間の広きを知ることを得るなり。肉体すてての後を成仏と考ふること勿れ。肉体有する間に成仏せよ。成仏とは死して仏になれよと云ふことにあらず。生きて居て正しき人となれよと云ふことなり。人とならずして人なることを知るを得んや。人となりて何になることぞの明らめを、正しく弁へる底のところ迄修養修行せよ。チ、のコンマの間に於て人となりて何になることぞなどの愚説を語ること勿れ。魂魄界の人類の如く安楽なる世界をつくる程度迄進むには、世人の如く肉体を有する間と雖も智慧そなはらば、行ひの上にこそ現はすことは得ずとも、さとりは得らるるなり。さとればその程度迄進む法力も自づと行ひ得て、肉体の有無は敢て妨げとはならざるなり。その程度迄進まずば魂不滅のさとりは得られざるべし。魂不滅は自得するにあらざれば学理より究むることは難し。学理は事実に依ってのみ現はさるるが故なり。されど自得は空想によって証明することを得るなり。故に空想は理に合はずば空想とは云ひ難し。理に合はざる考へは虚想なるが故に空し。よくよくこの区別を明らかにして考へを廻らさざるべからす。或人曰く、悪しき智慧は得易く善智は得難しと。此言葉は味はふべき説にて人は兎に角悪しき方向には智慧は働き易し。されど善行に智慧を向くることは甚だ困難なり。されば空想と虚想の相違も、かくの如き論旨より一段の工夫を要す。たとえ理に合ふとも世を害する方向には智慧を向ること勿れ。さりながら世を害すると云ふ事の理を反対に工夫すれば、其は善行となる場合も少なからず。故に悪行の反対は善行となることの少なからざる点より、又ここに一段の工夫なかるべからず。魂魄界の人類ともならば凡ては善行なるが故に、是を認識して教へのままに進むならば正しき方向に進むことを得れど、一度あやまてばその善行は忽ち悪行と変じて身を害ふ怖れあるなり。是未だ魂魄界の智慧は完全なるが如く思はるれどここに斯る欠陥はあるなり。
 所謂世人の世界に於て彼の神を信ずれば福徳円満に恵なるれど、もし彼に背反せばたちどころに罰せられんと云ふ如き宗教あり。即ち魂魄界の理は是に等し。表裏の区が余りに甚だしき結果をもたらす故なり。魂魄界の程度迄進むを見ても未だ人界なるが故に、相対関係の定まりあるによって、斯る欠陥は免がれざるなり。されどあやまたずしてその儘順路を進むならば、決して脱落する憂ひなしと知らば可ならん。世人は仏凡一体の境地或は自我一如の境涯など称し居れど、其は唯仏凡或は自我を一カ所に和合せしめたるにすぎず。故に是を分解する時は、忽ち仏凡自我と区別せらるるが故に、完全一如とはならざるなり。即ちキュの位置に進みても未だ人間界なるが故に、相対の関係は度脱することを得ざるなり。キュとは融和の意味も含まれある事に心すべし。



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