覚者慈音369

未知日記 第十巻  帰途案内記


                      その26
 次は五流界より三流界に至る迄の説明
                            
                  セイキヨウ貴尊 講述


 
 神は何故悪魔を亡ぼさざるやと世人は考ふるならん。されどこの悪魔を亡ぼさば宇宙は保たれざるが故なり。神にとりては悪魔は法なり。影なり。故に相対の姿となりて宇宙は持続し居るなり。もし悪魔尽きれば一方的に化せられて亡ぶるの他なきによって、悪魔を亡ぼし給はざるなり。されど魂界以上の処には悪魔は遠ざけられて来ることあたはず。唯影を見せては追ひ退けられ全く二分せられありて、正界魔界の区を明らかに定め居ると知らば可ならん。心界意界心意界などには最早悪魔は来るとも、何等なすべき事なきが故に侵入せざると知るべし。この理は追々語るべけれど唯八七六流界には悪魔は来らず。よし狙ふとも斯るものは看破せられて侵入するあたはざることを、悪魔は既に知り居るが故に来らざるなり。然るに魂界ともならば悪魔は此界に入らんことを望みて、如何にかして侵入せんと計りて種々様々の行ひをなして、隙あらばと狙い居る事は事実なり。
 されど魂界以上の処を狙ふ悪魔は、世人の世界の如き微々たるものを狙ふ底のものはあらざるなり。何となれば悪魔の世界にも、種々様々の階級あるなり。悪魔と雖も神の座を汚さんとの陰謀あるによってなり。されば悪魔とは如何なるを指すかと云ふに、即ち破壊を企むものを悪魔と云ひ、組織を計るものを善魔と思はば可ならん。相対性の宇宙は破壊せられ又組織せられて、次第にその姿を変化なさざれば持続するあたはざるが故に、かくも両道に別れ居るなり。所謂組織せんが為の破壊は善にして、破壊せんがための組織は正しからず。是等の事あるによって神は或一定の処迄到達せしめずば、完全なる組織は得られずとの思し召しにより、悪魔を亡ぼし給はざるなり。
 既に一流界ともならば悪魔は全く狙ふこともあたはずして来らず。又来ることも許されざるなり。余事は別として魂界魄界魂魄界の任務はきはめて重大にして、世人の世界の如き微々たる界の人類には、到底想像も及ばざる底の処に置れあるなり。此理によって察しなば悪魔も即ち神の子なりとの結論とならん。親となり、子と生るるものに於てすら、善悪の区別あるにてはあらざるか。正と邪の区別あれど親子と云ふに何の変りもあらざるならん。悪魔も善魔もすべては神の子なるべし。唯その行為の相違が正邪となり居るにすぎざるならん。故に神は悪魔をも正に化せしむる力あれど、是を咎めざるにすぎざるなり。世人の世界に於て悪人を善人に化せしむるも神の力なり。善人を悪人に化せしむるも是又神の考へなるべし。されど帰する処は善悪にあらず。又正邪にもあらざるなり。正邪善悪
、根に返らば即ち一なり。その一は何に相当するかを考慮せば善悪正邪の理は明らかとならん。所謂世の中を正しくせんがための方便にすぎず。邪ありて正を知り、正ありて邪を知る。然して邪は亡び正は栄ゆるものならば、正の方向に向はんとせば邪を知るにあらざれば正は得難く、又悪を知るにあらざれば善を知ること難からん。即ち邪正善悪は世を正しくせんがための方便に、用いられ居ると知らば、悪を憎むの用なく、却って悪人を憐れむ心にならざれば世は正しくはならざるべし。かかることを論ずるの要なけれど序でなれば語りをきたり。


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