覚者慈音368

未知日記 第十巻  帰途案内記


                      その25
 次は五流界より三流界に至る迄の説明
                            
                  セイキヨウ貴尊 講述





 今是を反対の立場より考へ見ば更に又新しきものの、生れ来ることに気附くならん。法力巧力こそ過去現在未来を有するが故に生るれば滅し、滅しては生るる関係となる。されど滅せざる魂に従はば、魂は法を生み巧を生むの力あることに心附かざるべからず。是は修養修行するものに取って最も大切なることなり。滅せざるものには過去現在未来の区なし。されば滅するものを生み出すは、滅せざるものの力なるべし。さればこそ魂は法力を生み又巧力を現はすと知るならば、魂は心意の法を生み、心意は魂によって現出せしめられたる身体に、巧力をなさしむるとの理を考へなば、魂心身は魂にのみ従ひ居らば生れては亡び亡びては生れつつ尚も、魂に従ひ行くことに思ひを廻らさざるべからず。此法則を魂心身の正則と名づけて是によって五流界以上の人類は、巧力法力共に行はれ居るなり。此界の人類ともならば、心意の法力を以て仮に肉体を造り出して、種々様々の巧力を現はす力を有し居るなり。魂界の人類は現はさんとすれば如何なる姿をも、心意の法力によって造り出すことも自由になし得らるるは、即ち魂心身の法則によって術を行ふこともなし得らるるにて、例へば我今樹木にならんとすれば、忽ち樹木に変じ、太陽にならんとすれば、忽ち太陽に化する如きこともなし得らるるなり。斯ることを世人に語るとも唯聞きのがして苦笑するならん。悪魔と雖も通力自在を得て、斯ることをなす力具はり居るなり。されど悪魔は法力巧力を知れど、その魂に汚れあるが故に、魂界の人類には忽ち看破せられて、法力巧力共に尽きて退散する他なきなり。既に魂界の人ともならば、斯くの如きことをなして、敢て不審とするもの一人としてあらざるなり。
 世人の世界に於て種々様々のことをなして人を驚かす悪行者はあれど、彼等は一種の種仕掛けある行力にて、人の眼をくらませ居るにすぎず。是等の輩は一種の催眠術に等しきことをなし居るにて、魂の完全に発達したるものにあらざるが故に、唯一時の手品にすぎざるなり。されど魂界の人類は斯る人の眼をくらます如き法力巧力にはあらず。是は幻影錯覚の如き術にあらずして、事実に於て行ひ居るなれば是こそ真の法力行力にして自然の法則より現はされたる術なり。かばかりの事をなし得られずば、神の使命をうけて宇宙のすべてを支配する役目を果すことは得ざるがゆえに、神は斯る力を魂界以上の人類に与へられたるなりと知らば可ならん。先にも語りし如く心界意界心意界迄の処にすら、悪魔は犯すこと難しと説きたり。斯る完全なる具備あるに不拘、我今悪魔の事を語りしに対して世人は如何に考ふるや。心界意界に於てすら悪魔は犯し難き程の完全なる世界ならば、魂界には悪魔の来らざるは当然なりと思ふならん。然るに魂界に於ても、悪魔は来ることあるなり。もとより心界意界の如き処を犯さんとするが如き悪魔とは、非常なる相違あるなり。悪魔は二流界を犯さんと企み居るなり。此事に対しては後にくはしく語るべし。されば今は唯悪魔は二流界に迄魔の手をさしのべ居ることを先づ世人は知りをくべし。                                                                                      

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