覚者慈音365

未知日記 第十巻  帰途案内記





                      その22
 更に八七六流界に到る迄
                            
                  セイキヨウ貴尊 講述


 先に語りし鏡の話はこれによって察せらるるならん。即ち人界の有様は悉く此鏡によって判明することを得れど、是は鏡にあらずして簡単なる機械なりと云ひしことに対して考へ見よ。この鏡には人類界の悉くが映写し居れど、五流界以上の様は知ること難しと語りたるにてはあらざるか。我等此話を作り出して世人に対し人類界の極致に至らば、かくの如き程度迄進むことを知らしめんが為の例話なり。事実に於て六流界には是等の機械によって、人類界の様を記録なし居るは事実なり。決して虚説にはあらざるなり。唯一人の隠形者を作りしは事実にあらずと承知せよ。九流界以上の世界には是等の設備あるによって、人類の過去現在未来に至る迄、実地に於て記録せられあれど、世人の世界の如く書籍等によって保存せられ居るにあらざれば、如何なる場合に於ても知らんとせば、事実をそのまま知ることを得る程度迄進化なし居るなり。世人の世界と雖も研究してこの程度迄進ませなば、十流界と雖も九七八流界の世界は其儘現出する事を得るによって、智慧を磨かん事を我等は切に望む。
  


次は五流界より三流界に至る迄の説明



人道全く終りて、さて五流界に移さるれば、其を何と称へて可ならん。ここに至って言葉に苦む。されど世人の世界には神とか或は仏とか称する言葉あるによって、この言葉をかりて語ることとせん。例へば世人の世界には何々の神とか仏菩薩とか云へる言葉あらん。よって是を世人に解し易んらしめんが為、我等低き神或は神ならざる神と仮称して語る事とせん。是をよくよく承知しをかれたし。唯人類進化しての後の、人類なりと思はば可ならん。所謂変化したる人類なりと考ふるもよし。
 其は兎に角五流界(魂界)に移さるれば、既に肉体を離れたるものの如く思はばそは誤解なり。五流界の人類と雖も形を有す。されどその形は全く六流界の人と異なり居りて世人には考へも及ばざるものと化せられ居るなり。是を世人に解し易く語るならば、魂を入るる器なりと云ふの他なきなり。所謂魂の休憩所にすぎず。されば魂をはたらかする時は、此界をはなれて神の使命をはたす任務に服し居る間、此休憩所は心意のみ守り居りて、魂と心意とは区分されてはたらき居るなり。恰も世人の世界に比して語るならば、己が家を下僕にるすいさせて、己は遠くに旅立ち居ると同様の如く考ふるも差支へなし。ミキョウは未だ界の定り居るにあらねど、我は四流界(魄界)に居を定め居りて、然して魂は汝等に接し居るなり。恰も借家を四流界に求め居ると同様なりと知らば頷くところあらん。









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