覚者慈音357

 未知日記 第十巻  帰途案内記
                その14
 八流界の人類とは  
                 セイキヨウ貴尊 講述






 泰岳は殺生を嫌ふは動力を奪ふを忌むにて働く物の働きを奪ふは殺生なりとて厭ひ居りしなり。すべてを活かせよとは誰もが口にすれど、事実行ひに移すことは容易の事にあらず。されば其の心がけにても平素貯へをかば、従って其れが習慣とならばこの習慣より新しき道の生まるるものなることに留意せよ。
泰岳は食物を活かして喰ふとの行ひに対して、汝等は感謝して食するならんと考ふるならん。其れもその中に含まれたらんも、泰岳の場合は大いに異なる教へあるなり。汝等はよく云ふ、腹八分目医者不用とか云へる言葉の如く、彼は食物は身の養ひに必要欠くべからざる薬の如くに用い居るなり。されば彼の摂取する食物は多からず又尠なからず。肉体の欲求に応じたるを用ゆるにて、汝等の如く美味ならば多量に摂取し、
美ならねば少量を用ゆる如き事をなさざるなり。故に彼は他人の食の半分にて己の健康は保たるると云ひ居るなり。汝等は過食して身体を害するは食物を殺したるなり。如何なる銘菓も多量に服用せば毒となりて身を害(そこな)ふ。是即ち殺生となる。是殺生の罪なり。報なりと知るべし。
さて是よりは大切なる教へなれば率爾に聞くこと勿れ。すべてを活かすと云へる中にも最も心すべきは言葉を活かすと云へる事についてなり。汝等は言葉と云へば口より出づるものとのみ考ふるならばそは大なる誤りなり。泰岳の如き僅か一句の呪文を記憶するに一ヶ月余の日時を要する程度の者にして如何でか多くの言葉を有すべきに道理あらんや。然るに彼に接する者はすべてに感化され、又至難なる問題も解決するを得ると円海は話したるにはあらざるか。この事によって考へを推し進め見よ。汝等が同国人の中にすら言語通ぜざる事は屡々体験するならん。言葉は便利なれど通ぜずば又不便なるものなり。斯かる事を彼に語りたしと思へど、さて適当の言葉を如何に考ふるも浮かび出でず、口ごもりて却って先方を不愉快に終らしむることあるならん。是等は活きたる言葉にはあらず。又汝等は名文は活きたる言葉と思ひて美文名文に心を用い居るを見る、もとより美文名文も生きたる言葉の部類に属したりとも云ひ得るならん。されど我等に云はしむれば、生きたる言葉と云はんよりは寧ろ優れたる言葉と云うは適当ならんと思ふなり。言葉は一種の約束符号なればなり。されどその言葉にも生死はあるなり。生死あればこそ人をも怒らしめ或は悲しましめ、或は楽しましめ喜ばしむる等々のはたらきあるなり。我等が云ふ言葉とは斯かる範囲のせまきを語るにあらず。神はもとより人類獣類鳥類或は草木に至る迄通ずるにあらざれば真の言葉とは云はれざるなり。汝等日本には「言霊」と云う言葉を用い居るを我は聞く。「言霊」とは言葉に魂を有せしむると云ふ意味にてはあらざるか。然りとせば生きたる言葉を云ふならん。言葉に生命を有すると心付きしならば、日常の生活をその言葉を応用してすべてを活かして世渡りをなさざるかと我は不審に思ふなり。


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