患者慈音329 光明論 上巻 巻の一 セイキョウ貴尊講義

光明論 上巻 巻の一
                その14
  
                 セイキヨウ貴尊 講述



 変調と云へば汝等は霊感によって世の中は急速に明らかに開けて何事も神の如く、手に取る如くに察せらるるやに感じなばそはあやまりなり。例へば明日は汝の命終ると知りなば汝は慌てふためかん。知らざるが故に幸なるにあらずや。我の云へる変調とは斯ることにあらず。即ち今日迄心づかざりしを知るに至らん。先づ二三の例を挙ぐれば、今迄迷ひ居りし夢の如き望は明らめられ、今迄心づかざりし恵の尊さを知りて感謝の念となり、今迄心づかざりし勿体なしと云ふ言葉の意味も感ぜられて、今迄の執念はぬぐひさられて欲しい惜しいと思ひしは愛の恵となりて施しの思ひに変じ、憎む心は慈悲に変る等々、不知々々のうちに変り行きて、曲道を歩まず直道と変じ居るを知るならん。是等の変りたる事柄を変調あらんと云ひたるなり。是霊光は神の道を歩ますに依てなり。斯くならば悪魔も汝等を犯すことを得ずして汝等の身辺を離れて何処へか消失せん。斯くなりてこそ霊光は益々その度を増して、形の光は美はしく輝き不知々々の間に生死の苦はぬぐひさられ、今迄何故に斯る思ひは浮ばざりしかと、却って昔をいぶかり不審するに到らん。修業もここに至らざるべからず。然ありてこそ老病の苦は軽し。心身の変調とは斯くの如きを云ふなり。如何に修業して万難の苦を耐え忍ぶとも神の如くに変ずるにはあらざるなり。故に斯る考へを若しも生ぜしならばそは悪魔の甘き言葉なりと心づきて速に排除すべし。己の徳に来るものは共に手を携へ、もし彼が汝を神なりなど云ふあらば固く是を誡めよ。然らざれば汝の形の光は汚さるべし。油断することなく身を低くして光の度を益々強く清からしめよ。
 「早合点なすものは真を究むる道を知らず」


 算盤を編成したる人を招きてその特効をききたる大名、「五に五を加ふれば如何に」と問ひたるに、彼算盤を取り出し丁寧に計算をして答をなしたり。周囲に集り居りし人々是を見て笑ひければ、大名彼等を諫めて曰く、「彼に暗算せよと命じたるにあらず。算盤せよと命じたるにより、彼は算盤にて示めしたり。汝等この心構へにて我に奉仕よ」とさとしたると云ふ逸話あり。五に五を加ふればの底の数は三才の小児も知る。早合点して答ふれば大切なる算盤の徳を失はしむる愚を演ずる結果に終らん。すべて世の中の人は早合点の癖ありて、一大事を見のがす事多し。故に教主は光明論の大事に入るに先だちて斯る言葉を用いて誡められしは一見矛盾したる如く感じて光明とは何等関係なきが如く思ふならんも決して然らず。汝等が修養の道に入る先だち、今後如何に是が大切なる教へなるかと知るに至らん。汝等日々人と接して此早合点が如何に汝等の身辺に及ぼす影響の不利なるに留意せざるべからずと心附くに至るべし。早合点も刹那の光明なり。刹那の光なり。例へば雷光の如く、個体と個体の衝突摩擦より生ずる火花の如し。此関係あるによりて大切なる光なり。汝等の信仰を見るに雷光火花の事柄余りに多くて平素の行ひにも是等に類する事余りに多きによりて間違ひ見違ひ等の事故を生じ、他と争ひを生じて反目するを見る。是早合点より生ずること極めて多し。雷光火花にて真の姿は見究むること能はず。わけても婦人は男子に比して反射作用強ければ其が為に思慮分別を余りに考究せずして、雷光火花の例少なからず。早合点より屡々失敗を重ぬること多し。是は表面の智慧余りに早く働き、内面に達せざる間に急ぎ判定を下す結果に基く障碍なれば、今少し是に時間を与へ火花より火口に移し、なるべく附け木に迄火をうつす思案あらば間違ひ少なし。されば今一段努力して燭に点火し深く求め照して真相をたしかむる修養あらんことを望むなり

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