覚者慈音325

光明論 上巻 巻の一
                その11

  
                 セイキヨウ貴尊 講述


形ある光は速度を有すれども、霊光にはその要なし


 速度とは何ぞや。星の光には光速度何光年とか云へる如き速度なりと思や。然り是も速度に相違なけれど今少し汝等が霊光に充たさるる教への速度こそ、最も汝等の要求なりと信ずるなり。汝等が口にする人生五十年、百歳生くるは古来稀なりと云ふにあらずや。初声あげる日より百歳の臨終迄欠さず日に一巻の書を読みたりとて、僅かに三万六千余巻に過ぎざるなり。斯く考へ及ぶ時、人間の心の速度の如何に短きかを知るならん。汝等はわづかの智慧に誇るを止めよ。然して霊光に浴して大なる智慧を求めて其時初めて、人間の尊さを誇るとも遅からざるべし。汝等の眼耳は何を見又何を聞く力の速度を有するや。実にせまき範囲なるべし。
霊光の眼霊光の耳を求めよ。肉眼肉耳に依ってものを測定せんと計り、又心の光に依って測定せんと計るに依って、其真を計り知るを得ざるなり。されど霊光に浴して総てに当らば決して誤つことあるべからず。速度を有する光は誤差を生ずれども其要なき霊光には誤差あることなし。汝等春は春着、夏は夏着と四季折々の気候に従ひて衣を更へ居るを考へて、形ある光に霊光を纏はしめよ。然せば夏暑からず、冬寒からざるべし。


形ある光は善悪正邪の区を明らかにすれども左右することを得ず


 汝等は教主の意のある処を知らざるべし。何となれば此譬喩は自他を聯想して聞き居る故なり。教主の説かれしは自他を対象としたる意味も含まれあれど、事実の眼目となす処は己自らに対しての教へなり。汝心中に悪意を蓄へなば直ちに知る者は即ち汝にして他にはあらざるべし。然して其行為を改むるは難かるべし。酒煙草は有害にして悪きと知りながら是を捨つる能はず。彼は善行をなす。我も行ひ度しと思ひて行ふを得ず。正道は遠ければいささか険しくとも枝道は近しと踏み入りて身を損ふなり。形ある光は相対なるに依って反射力を伴ふに依って右せんとせば左せよとの思ひ湧き出づるに依て、左右するを得ざるなり。又他人の行ひに対しても善悪正邪の区を知るを得て或程度忠告を与へ改めしむるを得れども、其事柄の深刻なるに至っては智慧及ばずして如何ともなし難き事多かるべし。是絶対ならざるに依てなり。


霊光には善悪正邪に応ずるを以て是を左右する力あり
 故に霊光はその区を明らむるなし


 即ち霊光には善悪正邪の嫌ひなく善には善、悪には悪、正には正、邪には邪と皆其々に同化する力を有し居りて、形ある光の如く反射作用を生ずるにあらねば何れにも和するなり。よき行為をなさば是に和し、悪き行ひをなさば厭はず是に和するにて逆ふことをせざるなり。然れば霊光は善か悪かはた又邪かと云ふ疑問を生ずるならん。霊光は善悪正邪悉くに和すれども其色に染る事なし。こに一例をあげて汝等に理解を与ふべし。
 ここに一人の聖者ありて多くの人みな其高徳に服し居たり。或日一人の人訪ね来り、「汝は聖者の仮面をかぶる大山師なり。我娘を犯して孕ませたるとは不届至極、早速初児を引きとれよ」と。聖者黙然と彼がなすままに任せ赤児を懐中にして日々托鉢なし居れるを見て、多くの人々近寄ることもなくなりたり。聖者は気に止むる様子もなく子を懐中にして育て居たり。或夕暮、先の人来りて低頭平身して、「我娘は他に男をもちて孕み我の叱咤を恐れ、汝と云はば許されんかと思ひて虚偽を云ひたれど、汝の姿の様を見て悔悟の念に耐えず、事実を語りたり。願はくば罪を許し給へ」と。聖者曰く、「この嬰児に親の現はれしは真に悦ばし、早く父なる人に見せよ」と手渡して平然たりしと云ふ。


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