覚者慈音323    大霊界を転記し終えて



大霊界を転記し終えての所感


 この大霊界が執筆されたのは昭和26年1月5日からその年の10月15日まで、ざっと300日を費やしている。附録として語られた第9,第10の門がどれほどの文章量かは知るすべもないが仮に50頁程と想定すれば総頁数は430頁となる。この書籍は普通の文字よりもずっと小さく、普通の書籍に換算するならば、ゆうにその3倍の量を越える。するとこの一巻だけで1200頁にも及ぶ大著書になる。神の階梯に達する神霊の直々の言葉として地上に下されたことは史上初めてのことになる。聖書も仏典も如是我聞「我、斯くの如く聞けり」と云う、人を介しての間接的話法だが、この未知日記は貴尊方の肉声を一字一句あやまつことなくそのままに著述させられたものだ。だから尊い。
僕も是を転記するのに80日を要した。まるで取り憑かれたかのように、TVも新聞も見ずに朝から晩までこの大霊界にのみ没頭した。夢の中にも屡々悪戦苦闘している己の夢が現れた。一刹那、教主寛大の声を聞いた。大勢の群衆の中でなにかを話されていた。とても若々しい男性の声だった。あっ、教主寛大だと思った瞬間、眼が醒めた。惜しかった。もう暫く夢を見させてもらいたかった。でも夢の中とはいえ神の声を聞いただけでその日は本当に幸せな気分になれた。寛大貴尊は男女の性別を超越した永遠の存在であられる。そのことを思えばあれは僕の完全な迷夢ということになる。でもそれでもよかった。神様の夢をみただけでもありがたかった。神を恋慕う気持ちがあればこそ、それが夢となって具現化したのだろうと思っている。


寛大は慈音さんと慈声さんのことを夢中の人と言った。



「慈音、慈声は世間より見る時は、先づ狂人として取り扱はるるやも計られざるなり。されど彼等は今は止むに止まれぬ境涯に押し込められて、ぬきさしならぬ立場となり居るなり。行くべきか、帰るべきかすら知らずして、唯夢中に使命を果たし居るにすぎざるなり。夢中の人とは彼等を指すならん。第三者より見る時は斯くの如し」と


僕の場合は小さな些事にすぎないけれどいい経験をさせて戴いた。このネットで開示されている大霊界を幾度も幾度も読むことによって将来釈迦、イエスを凌駕する大宗教家が日本に誕生することは間違いない。その日が一日も早く訪れますように。

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