覚者慈音321

光明論 上巻 巻の一
                その9
  
                 セイキヨウ貴尊 講述




形を有する光は破壊するを得れども霊光は破壊するを得ず
 形ある光は食を与へずば滅す。霊光には食の要なし


 人は修養の力に依って悪人も善人となし、愚者と雖も智識は得らる。又罪を犯したりとて悔ひ改むれば許されて清めらる。恰も燈燭は風に消されて又点火さるるが如く、破壊するには法を以てしてなるものなり。煩悩も法を以てすれば滅却するを得。形の光なるに依ってなり。されど法を与へずしては是を払ふことを得ざるなり。善行を破壊するはむづかしきにあらねども、悪行を破壊するは容易の事にはなし難し。捨てをけば益々埃はつもり、果は始末に困るものなり。霊光にはかかる埃はつもらず。つもりても汚すことを得ざるなり。一日は破壊されて二日三日と変り行く。汝の肉体は日一日と破壊され形を変へ、汝の心は破壊されて罪より罪、智慧より智慧と汚されつつあるを、教主はうれひ給へるなり。三度の食事は欠かさず摂取居りて心の養ひとなるべき食はとらず、反対に心には毒となるべき食を与へ居れるは何事ぞ。霊光を仰ぎなば破壊をまぬがれ食を与ふる要もなきことは云ふ迄もなし。喰はざれば死すとは、破壊さるる光明なり。喰はずとも死せざるは霊光なり。霊光に充たされたれば、修養の食の要なし。汝等この理を知るや。即ち修養とは何の為になすか。又何故に修養せざるべけんやを考へ見よ。
 霊光より生れたる汝等なれば霊光に帰するは当然になるに、霊光を棄てて他に転ぜんと企つるにより修養をあやまつなり。汝等の国人は祖先崇拝の美風あるに不拘、汝等の考へはあやまてる観念より横道に迷ひ入れるなり。祖先とは形ある人間を考へて何々家は如何とか、或は我祖先は仏門なれば他宗には入らずなどと、形ある光にのみ囚はれ居て、形なき霊光の祖先に心づかざるは真に愚なる事ならずや。汝等が祖先は霊光なり。霊光に帰らんための修養修業をなしつつありとせば、霊光に浴するを得ば其後何の修養の要あらんや。さればこそ教主は霊光に食の要なしと仰せられたるなり。汝等形ある光の有する間に霊光の徳を戴きて安らかなる生活を送る事に心がくべし。光陰を空しくせば滅すべし。滅せざる間の修養こそ一大事ぞかし。


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