覚者慈音320

光明論 上巻 巻の一
                その8
  
                 セイキヨウ貴尊 講述


 如何にも野蛮の如く聞ゆれども日蝕は紫外線強くして眼に故障を与ゆるは事実なり。然して日月の触する如く人もめぐり来る種々様々の変動あるを見る。又日月にかかる雲あり。雲とは何なるか。即ち思ひがけぬ不時の災害、心の迷ひ、迷はさるるに依って起こる障碍を列挙し見よ。数限りなからん。是形あるに依ってなり。霊光は不変にして無極無辺なれば、斯る事もかかる雲の汚れも無く又何等の病患もなし。雲とは心の汚れなれば霊気を汚す事能はざるなり。
 「形ある光は滅すれども終始なき霊光は滅せず
  形ある光にはなやみあり。霊光にはなやむことなし
生者必滅の理論を教主は宣(のたまは)せられたるにあらず。又生死を申されたるにもあらず。汝等少しく考へ見よ。然らば教主は何の意味を説かれたるか。光には滅するもの、光とは何を指されたるか。朝に太陽は輝き、夕に月は照らすを宣せらたるか。教主の教へは汝等が聞き飽きたる論説にあらずして汝等の心の迷ひを光と仰せられたるなり。汝等は其日其日を仮の宿として真実の道を歩まず、空虚より空虚にさ迷ひあるを愁ひて申されたるなり。汝等日々空しき日を消滅して今日に至り、未だ迷夢より醒めずして尚も光を滅せんとなし居るを、不憫なりとて申されし言葉なり。終始なき霊光に浴しなば斯る空虚なる行をなす事なく滅せざる輝きに充たされて終始なき喜悦に生かさしめんと仰せられたるなり。故に「形ある光にはなやみあり。霊光にはなやむことなし」と。
汝等は何とかして苦患より逓れんと焦りて、却って苦患を深くす。恰も雪中の吹きだまりとか、水に溺れんとするに等しく、悶えて上らんとすれば尚深く沈む結果となる。ここにさとりあり。先づ心をおちつけて覚悟をなせば身体は自由になりて救はるる道を知るなり。汝等は常に一も修養、二も体得と口先のみにて事実行ひを見るに空しき事のみ多くして、却って悩みを増しつつあるなり。そは形ある光の影を追ひて霊光を求めざるに依ってなり。悩みは数々の束縛(なわめ)に縛られて身動きならぬ結果より生ずる患(わずらい)なり。終始なき霊光はなやむことを知らず。斯る不自由なる束縛なければなり。

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