覚者慈音319

光明論 上巻 巻の一
                その7
  
                 セイキヨウ貴尊 講述


 「形なき霊光は普く百方を照らして全からずと云ふことなし
 大小高低曲直はもとより善悪正邪、ものの美醜を嫌はず、
 そのままに現はして偽る事なし」


 太陽と地球及び星月は衝突せざるも規律正しく流転生存しあるは即ち霊光の力あるに依ってなり。されば形なき霊光は無極無辺なることを知りたるならん。故に形ある物を包含なしあるを以てあまねく一切を照してあまねからずと云ふことなし。故に霊光はすべてを照らしすべてを知る。教主の大小と申されしは即ち大にしては全宇宙、小にしては千極分の一漠の細菌に至るとの事なり。又高低とは山海の高低にあらず。智慧の勝れたるを高、劣りたるを低との意なるべし。曲直は心の善悪邪正は行ひを云ひたり。然して物の醜美を嫌はず、其ままに現はして厭はず、決して偽はらざるなり。形醜くくとも心美なれば其儘ににて憚ることなし。是に反し形美しくとも心醜ければ真に醜からん。そは別として霊光は偽りなく、又偽らるる事もあらず。霊光にはお世辞言葉も何の効果なく太陽の如く暗示の影を抛げかくる事なく、正は正、邪は邪として憚らざるなり。霊光は絶対なるによりて偏頗なく真を真とし偽を偽とし仁を仁とす。故に総てに誤ある事無し。
 「形を有する光は掩ひかくすを得れども霊光はかくさるる憂なし」
汝等が世界の法律は如何に完全に組織さるるとも、其法網をくぐる輩ある如く形を有す光は掩ひかくさるるなり。かくれて罪を犯す者は未だ良心を失はざるなり。然るに堂々罪を犯して法律に触れざれば差支なしなどと平然たるあり。贈賄収賄なども光を掩ひ居るなり。夫ある妻を姦し妻ある夫と姦するも光を形を有する光は掩ふなり。口と心に相違あるも然り。媚び諂ふも然り。顔に紅粉を装ひて天の美をかくす。是又然り。形を有する光は斯くしてかくさるれど、霊光に浴したる人ならば斯る事をなさずとも人道神道を大手を振りつつ闊歩して憚らず。又決して過誤なきなり。掩ひかくすの要も無きなり。何となれば霊光に浴する底の修養積みなば恐れあることなし。其物の区分を明白なるに依って、決して錯誤を犯す憂ひなきなり。されば教主は尊き霊光の世界に、汝等を導かん事を欲して此講義の衝(しょう 要の意)に当られたるなり。
 「日月には触あり、霊光には斯かる事なし
  日月には雲あり、霊光にはなし」

 仰せられたるには人間に心の病患、肉体の病気なじある如く、昔の人は天文学を知らざるが故に、日月の触を病気せられ居ると伝説し居たりしなり。斯る伝説を取るに足らぬと一笑に附する勿れ。当時の純潔なる信仰を考ふる時、実に美はしき事よと我は当時を追憶してうたた感無量なり。昔の人は此日蝕を肉眼で見る勿れ。そは神の患を人間の肉眼にて見るは勿体なくして、汚れし肉眼は秘するなりと教へたり。


註 むかし慈音師が信仰に迷われた時、セイキョウ貴尊にお願いをして、日本に住んで居られた頃の姿を拝謁されたそうな。その姿は丁度、古墳時代のいでたちであったそうです。


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