覚者慈音316

光明論 上巻 巻の一
                その4
  
                 セイキヨウ貴尊 講述


「点火さるれば光を放たん。所謂滅したるにあらずして無明の光明と変じあるにすぎず」
と仰せられたり。
 汝等も思ひあたることあらん。彼は生前よき人なりしに今少時にても生かしてをきたかりしとか、或は彼の如きは世に害毒を流す故死せしは幸せなりとか、彼は忠臣なり、彼は不忠の臣なりしとか、何百年前の人を語るならん。是即ち善悪の業は滅しあらざることを見ても、教主の教へを悟ることを得たるならん。点火すれば光を放たんとは何百年経っても大衆に語らるるは点火したるにて批評せられ居るは光なるべし。蝋燭は火なれば終を告げ、尽きて消ゆれば消滅すれども魂魄の点火は心意の炎は容易ならざるべし。ここに一段工夫を要すべきなり。
 「燭の形状には大小長短太細ある如く、人体にも同様の恵みあるなり
 滅後一本の線香に変ずるも薫郁はたかし 香も亦光明なり。光を香に変へたるのみ」
 斯く説かれなば汝等は単に成程と思ふのみにて深く思慮せざるべし。先づ信念を深くして考へ見よ。人間には貴賤貧富あり。人体には強弱ある如く燭には大小あり。人間には長寿短命ある如く燭には長短あり。人間には健康病弱あり。人体には勝れたると劣れるある如く燭には太細あるなり。是等の事柄は汝等にも既に察知あるならん。然れども教主が特に人間にも同様の恵ありとの教へあることに思ひ廻らさざるべからず。この恵とは如何なる意を有するかについて考慮せざるべからず。人間の貴賤貧富、肉体の強弱には其々の異なれる恵に依れる故に、輝きは燭の如く一様ならず。光の範囲は極めて広きを以て恵の言葉を用いしならんか。
 さて人体呼吸たゆれば枕辺にたてられる一本の線香、是は仏教の習慣なれども、教主は特に是を賞せられたるならん。我も是は良き風習と思ふなり。何となれば普通の線香は樒と云へる毒木より製造せしと聞く。是を薫ずれば空気消毒となり、又良き香して死体の臭気を払ふ一挙両得の効果あればなり。この死者の冥福を祈らん為の線香が却って我心の沈静を計る結果とならんとは、汝等にも予測せざりしならん。されば教主は香も光明なりと仰せられたり。光明なるによって暗くなりし心に沈着の光を与へられたるなり。故に光を香に変へたるのみと申されたり。例へば人間を蝋燭に見なすも線香にたとふるも道理は一なり。


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