覚者慈音307

未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の五                         NO253
大霊界入門記    後編                 
第八、セン 完成門 (仮称)                                                                  その7
                       教主寛大講述


 この界に入らば風雨のなやみもなければ、又引力に惹かれて大地の必要もなく、汝等の如く家を建設して其中に住う如き不便も感ぜざる姿にて、空気のかたまりの如きものにもあらざるなり。されば斯くも汝等とかけはなれたる姿なるによって、汝等は如何に眼を見はるとも其姿を観望することを得ず。是を観度し思ふならば早く不変化自然の処迄、至らしめずば見ること難し。汝等は何万倍何千万倍の顕微鏡を作りて細菌をながめ居れど、何兆倍の顕微鏡を作らば最早諸子の肉眼はものを見ることあたはざらん。諸子の肉眼には限度あるによってなり。諸子の眼に神を見ることの能はざるはこの理あるによってなり。不変化自然に順ずれば神の姿はたしかに、拝することを得るは事実にしていたづらごとにはあらざるなり。又虚説にもあらざるなり。早く神を拝するまなこに化せられんことを願ふべし。
 問へば答へ語れば聞ゆ。されど問はず語らぬことを聞く力汝にありや。無問無答にして何か相互に感じ来るものなければ宇宙は黙止 なり。されど全宇宙は動じ居りて分秒も休止することなし。動ずれば必ず響あり。其響が聞ゆる程度に化せられずば無言詞は聞くことあたはず。我、斯く語らば汝等はこじつけの理論なりと思ひて理屈を語るものかなと思ふならん。されど学理より追究し見るも当然の事にして敢て理屈を語るものにあらず。唯究めざるが故に知らざるのみなり。又是等は不思議にもあらず不可能にもあらざることは、行者の既に究め居る所にて、行ぜざる者には夢想だに考へしこともなく又斯ることを考ふる暇あらば、田を耕し一鍬にても労力に変へんとの思ひにて、斯るものに対して重点ををくものにあらざるは、諸子の世界の習性にて其は当然のことなるべし。故に我等は今日迄斯ることを口にせず過し居たりれど、最早この書を講ずるに及んでは語らざるを得ず。故に参考迄に伝へをくべし。若し是等に依って何か得る所あるならば、諸子の世界にも大なる発見をなすこと不可能にはあらざるなり。又其によって新しき発見をなして世に利益を与へんことを冀ふ。


×

非ログインユーザーとして返信する

あと 2000文字

※は必須項目です。