覚者慈音304

未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の五                         NO250
大霊界入門記    後編                 
第八、セン 完成門 (仮称)                                                                  その4

                       教主寛大講述


 汝等諸子の俗語に(日本人)「川にはまって焼け死んだ」と云ふあらん。川にはまってやけ死ぬ行為を諸子はなし居るなり。諸子の世界には斯る例は数々多し。水に溺るると云ふは言葉はあれど水に焼かるるとは謂はば、狂人として他より相手にするものはあらざるならん。我等より見る時は火に溺れ水に焼かるると云ふ言葉は狂人の沙汰とは思はざるなり。汝等の言葉に嗽石枕水と云ふあらん。石にて含嗽(すすぐ)き水に枕すなどとあるに対して 名文なりとして、珍重され居るにてはあらざるか。即ち枕石嗽水なれば其は俗文なりとして、意中に止むるものはあらざるべし。然るに嗽石枕水と云ふに対しては何か其に引かさるるもののあるによって名文として取り扱はれ居るならん。石にて漱き水に枕すと云ふ言葉の奥には何か其処に、潜在し居る無言詞がはたらき居ることのあるによって名文としてもてはやされ居る点より、ひそむと云ふ言葉が更に又考へらるる点少なからず。故に秘密と云ふ言葉となり其秘密を追ひ求めて、ここに又一つの宗教がなりたち居ることも見のがし難からん。然らば神も潜在なし居りて姿現はさねば即ち秘密なり。又ひそみ居るものとして是に思ひをはせ居ることは何か其処に一種の引力性があるによってなりとの念も生ずるならん。
 月と語り花と語る。即ち引力なり。その交はりが相互の引力によって相語り相通ずる時、はじめて無言詞が有言詞となりて働く。この点より考察せば形の有無の如何に不拘、相互に引力のあるによってその交はりが親しみと変じて融和す。是をセンと云ふ。ぬきん出るとは相互の引力を云ふなり。交はらずばセンにあらず。不変化自然に順ずるとは不変化自然に親しむの意味なり。親しむは是又引力あるによってなり。この曖昧なる言葉より諸子は何かを求めよ。
 日本人の俳句に、「古池や蛙とびこむ水の音」と云ふを名句なりとしてもてはやされ居るは、その句より何か深きものを探り求めんとする心あるによってなり。同じ句にても「新池や」とか或は「泉水や」と云ふも意味に於ては同じかるべき筈なり。然るに古池やと云ふ文字に言葉に引かさるるならん。唯古き池と云ふ言葉に対して深き意味の無言詞がはたらき居るによってこそ名句なりと称賛せらるるのみ。是を「泉水や蛙とびこむ水の音」と云はば別段顧みられざるべし。あたかも嗽石枕水の其如し。


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