覚者慈音302

未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の五                         NO248
大霊界入門記    後編                 
第八、セン 完成門 (仮称)                                                                  その2
                       教主寛大講述


 センとは千又は仙にも通ず。千終りて万となる。万とは充満(みつる)の意味なり。されば是等の点に着目して研究の度をたかめなば完成と云ふ意味は察せらるるならん。仙とは人類頂点を意味するにて、人の道を全く歩み尽したるものを指して仙と云ふならん。我等は文字の意味を語るにあらず。又文字に拘泥する者にもあらざるなり。文字は加味に描く符号にして取るに足らず。されど是なくんば汝等諸子に示すこと難し。故に唯用い居るのみにて歯牙にはかけざるなり。眼より入る言葉なるによって示し居れど、是等に関して彼是批判することは止めよ。諸子は文字をみれば文字に囚はれ、声を聞けば言葉に囚はる。是等はみな形の上の修養にて正しき修養にはあらず。この中に含まるる無形の言葉無形の文字無形の声を聞くにあらざれば、真の理は解すること難しと承知せよ。すべての事柄を知り尽して千となり万となる。人間の道全きを得て是又仙となる。ここに人あり。彼は唖(おし)にしてものを云ふ能はず唖なるが故に聾(つんぼ)なり。ものを聞くあたはず。唯肉眼ありて足をはこぶのみ。此人何を目的として歩みを続け居るやを想像し見よ。若し汝等にして無言詞を聞くことを得ば、彼の意中は彼の希望は諒解することを得る筈なり。是等に関して諸子は神ならでは知るとを得じと思ふは誤りなり。神ならずとも仏ならずとも人と人との交はりある以上、その意中を汲みとることあたはずば、人としての本分を尽くすこと難し。我は天界にありて汝等諸子の世界を観望して、今後の末路は如何なる状態に化せられるやは一目瞭然として、眼に映り耳に聞え一として知らじと云ふことなし。我は神にあらず仏にもあらず。されど是を知る。斯ることを公言して憚らざる我等に対して諸子は我等を狂人と見るや。我等は人たらんとせば人となり、仏たらんとせば仏となる。其は自由なり。何とならば神より許されて我等はその自由を与へられ居るによってなり。慈音曰く、斯ることを欣情に教へお伽噺を作らせては如何と。然せば欣情は大なる利益を得るならん。呵々。今我等が語り居る言葉は諸子にはお伽噺の其と聞くの他なし。センの門に入りたるものならば、先づかくの如き程度に進み居ることと諒知せよ。


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