覚者慈音292 大霊界入門記  後編 フク 反復門 (仮称) 一名奮起門 (仮称)  教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の五                         NO239
大霊界入門記    後編                 
第七、フク 反復門 (仮称) 一名奮起門 (仮称) とも云ふ                                                    その8
                       教主寛大講述


 斯く語らば汝等は又迷ふならん。然らば来らずとも去らずとも可ならん事の理屈を語るならん。来るものは来らんとする心より足をはこびたるなり。去らんとするものは己の意に合はざるが故に去るなり。其は来るもの去るものの智慧の程度によって定まる。救ふものは来るも去るもすべては一なり。故に去るものを追ふべからずと語りたれど、去るものを救はじと云ふの意味にはあらず。是等は神の心と人類の心との考へかたの相違あるのみ。神の道は斯る偏頗なるものにあらず。又別けへだてをなすものにもあらざることは諸子にも察せられるならん。
 フクの階とはコウの門より来りたるすべてのものを程よく加減塩梅して是を融和せしめ、然して組織の方向に向はしむるところなるによって、如何に複雑なるものなりと雖も、是を処理して融和をなさしめ然して建設の方向に向はしめつつあることと承知せよ。汝等諸子の肉体は細胞組織の現はれなることは既に承知なし居るならん。この複雑なる細胞の集合によって肉体は完成せられあるなり。例へば諸子の肉体より分泌なし居る排出物は垢となりて脱落し、又外部より取り入れる無機物が養分となりて保存しつつあるに不拘、諸子は呼吸とは鼻口のみなる如く感じられ居るならん。然るに事実は全身悉くが呼吸なし居ることには余りに無関心なるべし。若し是が肉体破壊の方向に向ふと仮定し見よ。然る時は全身の血液が外部に漏れて果は骨格迄も破壊せらるることの理もなしとは云ひがたからん。全宇宙の組織が完全なるが故に諸子の肉体は破壊せられず保持し居ることに思ひを致さば、フクの門の如何に微妙なる作用をなし居るかの事に対して、何かそこに一種の感銘を受くる筈なり。諸子の肉体を科学上より同様のものを作ることを得たりとて大自然の備はりなければ決して組織さるるものにあらず。大自然の力が備はりあるによって、科学上より同様のものが組織さるることは疑う余地なし。されど是を同種のものに組織せんとならば種々様々のものを寄せ集めて更に機械的に、或は薬学的に是を完成するには夥(おびただ)しき努力を要するに不拘、諸子の肉体は唯訳もなく育ち居るにてはあらざるか。是等すべてはギョウ、コウ、フクの具備あるによってなり。更に是を深く追究すればチ、シュ、キュ、ジョウの根底よりなりたちたる事は是又云ふ迄もなし。肉体のみに関してすらフクの門は余すところなく融和せしめ居ることは是にて察せられたるならん。さればその肉体を保持し居る魂に至っては是又其以上の困難を伴ふにも不拘、その魂があればこそ心を作り然して肉体を動ぜしめて育て行くことの微妙なる作用を与へ居る等々すべて、フクの門階の具備が汝等の肉体にも通じ居ることに思ひをはせよ。是あるが故に我等はフクの門は汝等にもそなはると語りしなり。汝等よくよくこの表面の言葉より更に深く思ひを致さば無限詞は働きて、諸子の肉体を安らかに組織の方向に向ふことを得るなり。文意の明らかならざるは是によって、無言詞を知らしめんとの計画なれば、その心して読むべし。

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