覚者慈音290  大霊界  大霊界入門記  後篇   教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の五                         NO237
大霊界入門記    後編                 
第七、フク 反復門 (仮称) 一名奮起門 (仮称) とも云ふ                                                    その6
                       教主寛大講述


 フクとは復の意味にも通ふ。所謂神より出でて神に帰るの意味なり。即ち絶対より出でて絶対に帰る。是等もフクなり。是とは反対に汝に出でて汝に帰る。是もフクなり。汝等何れを択ばんとするや。考ふる要あらざるべし。生より出でて生に帰るもフクなり。死より出でて死にかへるもフクなり。分限者より出でて分限者にかへり、或は貧より出でて貧にかへる等々すべてフクの意に通ふ。汝等諸子肉体本位に考ふれば死より出でて死にかへる結果となり、魂本位に行ずるならば生より出でて生にかへる結果となる故に、肉体本位に囚はるれば死を択ぶの他なかるべし。生より出でて生にかへるにあらざれば永久の生は望まれざるべし。生より出でて生にかへることを神より出でて神にかへると思ひ、己に出て、己にかへる。是を魔界に堕ると云ふなり。何れを択ぶや。考ふる迄もなからん。諸子は長く生きんことを望み死の方向に向ひ居るによって迷ふなり。即ち生か死かの二道が交々現出するによって或右し或は左し遂には転落す。迷はずば一路をふむによって紆余曲折ありとも迷はず遂には望を達することを得るなり。禍福何れを好むや。汝等諸子は福徳円満ならんことを冀ふならん。フクとは福の意にも通ず。されば諸子は神より授けられたるフクを求むるや。人間同士の約束より金品財宝のフクを求むるや。金品財宝を貯へてあまたの倉を建設して我は長者なりとか、或は分限者なりとか誇る如きを最大の幸福と考へ居る諸子は、我等の眼より見る時滑稽と思ふの他なし。金品財宝を貯へて多くの倉を作るは何故かを考慮し見よ。もし長者ならば斯る事はなさざるべし。倉庫は一つにしてよし。多くの倉を建設するの要なからん。貯へし金品を以て世を救ふにあらざれば、財宝の価値はなし。多くの倉を作らんより多くの人を救ふことに尽力するを長者と云ふなり。分限者になりて多くの倉を作るは財宝の番人に等し。真の長者は世を救はんがための財宝を蓄積して、其によって貧者のなからんことを願ひ居るなり。長者とか分限者には斯るところにも相違あることに留意せざるべからず。金品財宝を求むるならば長者たるべし。分限者たることなかれと勧るものなり。汲めども尽きぬ泉ならば多くの人の渇を充たすに足る。尽きざる泉を閉して何の益かあらん。却って怨みの種子を蒔く。斯る分り切りたる事のあるに対して諸子は己が貯へし財宝を施さんとせず、倉を閉じて鍵をかけおきなば、何日かは火に焼かれて消滅せん。是等の事柄も皆フクの意味に合ふと知るべし。

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