覚者慈音287

未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の五                         NO234
大霊界入門記    後編                 
第七、フク 反復門 (仮称) 一名奮起門 (仮称) とも云ふ                                                    その3
                       教主寛大講述


 汝等諸子は分時なりとも娯まんとして娯楽の方向にのみ、意を用い居るは何と愚なる事ぞ。わけて日本人は今日は何祭りとか称して多くの金品を投じ、唯娯楽を旨として遊び居る事は滑稽に感ず。各所に遊戯場を設けて狭隘なる土地を益々狭隘になす如きは、実に狂人ぢみたる業にてはあらざるか。貧乏国が益々貧乏国となるは火を見るよりも明白なるに不拘、益々その度をたかむるは愚も亦甚だし。或者は云ふ、若し戦争にもならば我国は如何になるやも知れず、せめては少しの時間なりとも楽く暮さんと云ふ如きは呆然たる他なし。余りに余事にわたりたり。もとに復すべし。
 今も語り居るフクの門は融和門なるによって、すべて一体化を計り居る事の理は察せられたるならん。汝等諸子は融和と衝突とを混同して考ふる傾きあり。融和せんが為に相寄り交はりて居ながら衝突を惹き起して、却って離れ離れの結果となる事を多くなし居れり。融和すれば静となり衝突すれば動となる。即ち鉦と撞木の如し。敵と味方に分るるは衝突の結果なることは異論の余地なからん。融和すれば、敵と味方が一体化となるによって静となる。斯る分り切りたる事を知りながら汝等は衝突の世界を、永久に持続なし居るは何と云ふあさましき事ぞ。夫婦交はりて融和せざるも、心と心が衝突の間断なき事はよく知りつつも、心の融和を欠くによって一体化することあたはず。夫婦喧嘩の絶間なきは心と心の融和せざるによって、たとえ肉体が一体化するとも衝突は避け難く互に火花を散して争ふ。身心共に一体化なし居らば常に融け合ひて静なり。誰かの狂歌に「子を持ちて夫婦喧嘩をなす時は、子をこしらへし時を思へよ」と云ふ短歌あり。よく考へ見よ。この狂歌には融和の大切なることを示しあるにてはあらざるか子を儲くる時は身心共に融和なしたる姿なり。その事柄より融和の方向に相互が心が向ふならば、互に融け合ひて争ひなど起らざるべし。是は個人同士の交はりより大きくは一国一界の程度迄及ぶならば、永久の平和は得られて益々栄えの度は加はらん。されば融和せんとならば相互思ひやりの心を彼に送るべし。彼の思ひを我にとり我の思ひを彼に通ぜしめて互に思ひやり、同士の心を深くせば融和は得られる筈なり。緑と赤を程よく塩梅すれば紫となる理より融和の法を構ずべし。我は彼を思ひ彼は我を思ふ。相互が思いやりの心を貯へ居らば争ひの生ずべき事あらんや。


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