覚者慈音280



未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の五                         NO227
大霊界入門記    後編                 
第六、コゥ 活躍門 (仮称) 一名無不成門 (仮称) とも云ふ                                                   その5
                       教主寛大講述


 汝等衆人は金殿玉楼に住居て尚飽き足らず各所に家を建設して其を誇となし居るにてはあらざるか。然るに一方にては狭隘なる所に、多くの人類ひしめきあひつつ住居するもあり。実に千差万別ならん。大霊界は斯る偏頗の法則はあらざるなり。泰岳が語りし如くかばかりと云ふことのあらざるによってなり。又彼は云ふ。臥せば一畳座れば三尺と教へたり。この点より金殿玉楼に住居して多くの者と、狭隘なる所に住居して多くの者のひしめきあふと比較し見よ。斯る偏頗の世界を汝等諸子は不変化自然の原理より考察するならば、その誤ちは直に解決することを得れど、変化自然より見る時は解決は困難なり。我等汝等諸子を導かんがために不変化自然の具備あることを認識せしめて、然して大霊界に誘はんとはかり居る迄にて、諸子の誤解をほどかんがための方法を語り居るに他ならず。若し我等宗教者ならば空論を語らずとも、実論を以て汝等諸子を導くこと易し。されど宗教者ならねば我等の語る言葉は汝等諸子には空論虚説として聞き居ることは我等よく知る。されど我等は虚説は語らざるなり。又斯くせよと命ずるものにもあらず。
 我等が説を聞きて虚と思ふも実と思ふも其は諸子の心任せなり。元来諸子の肉体には大切なる魂を有すと語り居れど、諸子は何か具体的に語らずば解し難きは一般のならはしなり。魂と謂はば宝石の其如し。五尺の身体に宿し居る宝石を魂と云ふなり。一個の小さき宝石が汝等五尺の身体に有し居りて、其宝石のはたらきによって八方十方を照らし居ることに心せば、合点(うなづ)くところあるならん。汝等もし大岩石の中心に一個の宝ありと見なして考究し見よ。その宝を取り出すには大岩石を打ち砕きて取り出さざるべからず。是を取り出すには岩石を砕くにあたって注意せずば宝も共に打ち砕かるる憂ひあらん。この事柄より修養修業とは大岩石を打ち砕くに等し。注意せずば五尺の身体の中に有する宝も共に消滅させる憂ひあらん。所謂大岩石は打ち砕くとも中心にひそみ居る宝に傷かば何等の甲斐もなし。其には岩石を砕くにあたって徐々に中心へ中心へと心しつつ砕き行く。是即ち修養修業の方法なり。目的は中心の宝にあるならん。大岩石には何等の必要もなきことは論ずるの余地なし。其と同じことにて汝等の肉体は神にとりては何等の必要もなきなり。中にひそみ居る魂と云ふ宝石が必要あるによって、神は是をとり出さんとなし給ふならんと我等は思ふなり。五尺の身体に有し居る小さき宝石は、やがて大霊界に移さるればその力の威徳は顕著となる。されど汝等の肉体に宿り居りては何等のかちもなし。故に汝等はその宝石を大切になして是をみがき上げ、やがて神に対して是を返へして己が任務を全うすることに尽力せば、其にて汝等の任務は果されたるなり。


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