覚者慈音276

未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の五                         NO223
大霊界入門記    後編                 
第六、コゥ 活躍門 (仮称) 一名無不成門 (仮称) とも云ふ                                                   その1
                       教主寛大講述


 汝等衆人小児に語る魔法の童話を、真実として語り居るもの一人としてあらざるべし。唯興味を以て語り居るにすぎず。然るに天界にはその悉くが事実となりて現はれ居るなり。夢物語にもあらざるなり。すべての魔法は悉く法に合ひ居るによって、なさんとせば忽ち現出す。空中に楼閣を作り其中に住居して、心の儘になさんとしてならずと云ふことなき如きは、きはめて簡単なることにて、大霊界の前門を学したるものならば、斯る愚なる行為をなさんとするもの一人としてあらざるなり。されど前門を学したる者はなさんとせば、斯る事はいと易きことにて敢へて意とするものすらあらざるなり。されば前門を終へてギョウの門、更に進んでコゥの門に学するもの、是等の法力を応用して不滅のものを建設なし居るなり。魔法は永久的にあらず。彼等は唯変化の原理を、応用して一時的の現象として作りたる迄なれば、永久的にあらず。軈ては消滅するによって、是等の変化自然を応用して、不変の世界を現出せしめつつあるなり。されば彼等は永久不滅のものを作りつつあるによって名づけて是をコウの門と云ふなり。コウの門と云ふも仮称なり。この所に学するもの不変性のものを建設なし居りて、間断なく業務にいそしむ。さればギョウの門に於て修得したる其々の専門的学理をみな其々の人類が共に力を合はせて、その任に励みて倦むことなく益々大霊界の繁栄を計り居るなり。故にこの界には魔法を用ゆるものあらざるによって悪魔などは影を没す。悪魔は変化性なるが故に一時的の方法を用いて企みをなせど、不変性の前には忽ち行力は破れて、如何に努力なすとも甲斐なきため、犯さんとする如きもの悉く退散して、ここには寄りつくことあらざるなり。
 コウとは手柄と云ふ意味にも通ず。されど汝等諸子の功とは小同大異にして大同小異にあらず。汝等衆人の世界は一つの事柄成就せば功なりたりと称し居れど、此界は億兆の事柄が同時に成り立ずば、功なりしとは言はれざるなり。コウとは手柄と云ふ意味にあらず。汝等衆人の功は手柄を意味するによって是は虚性となる。故にその功は覆へる愁ひあれど、大霊界の功は手柄にあらず。成立つことを功の意味に通ぜしめ居るにて手柄にあらず。ならじと思ふことが成立したれば、其は手柄の意味に合ふこともあらん。大霊界にはならざることをなるとして、取り扱ふものあらざるが故に、なることをなしたりとて、其を手柄として誇るものあらざるなり。この界の仏たちはならざることは、ならじとして、なることをなしたりとて、其を手柄として誇るものはあらざるなり。この界の仏たちはならざることは、ならじとして、ことにあたるもの一としてあらず。さりながらこの界のものはならじと云ふこと一としてなければすべてはなるなり。全宇宙にはなしてならずと云ふことあらざるによって、なせば必ず成就す。是は当然にして不思議と云ふものなければ、最初よりことにあたるに理をきはめ居るによって、忽ち着手してすべてを完成なし居ることは云ふ迄もなし。
汝等衆人斯ることを聞くとも原理を知らざる汝等なれば虚説の如く聞きのがすは是又無理ならぬことなり。其は余りに智識の程度が大なる開らきあるによって、語り居る我等と雖も、汝等諸子の智慧に対して余りに程度が高きが故に、受け入るる力なきことはよく知り居れど、さりとて事実なるによって語りをく迄なり。是等の道理はフク、センの門に迄話を進むれば幾分か参考資料とならん。


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