覚者慈音271



未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の五                         NO218
大霊界入門記    後編                 
第五、ギョウ 実地門 (仮称) 一名就業門 (仮称) とも云ふ                                                   その4
                       教主寛大講述


 ここに注意することあり。其は他ならず。汝等諸子は四撰の法則を曲解なし居ることを我等は知るによってなり。諸子は破壊と云へばものを砕き、組織と云へば是を組み立てると云ふ考へにて、すべてを悟らんとする傾向あるによってなり。故にチの門の破壊ギョウの門の破壊と聞きて、諸子の考へより推理するならば、我等の意中を汲みとること難し。組織せんがための破壊、破壊せんがための破壊、破壊せんがための組織等々は汝等諸子の世界に通ずれど、天界には通ぜざるなり。何となれば天界には破壊のための破壊とか、組織のための破壊の如き言葉は成立せざるなり。然るに四撰は何処如何なる処に到るも曲げらるるものにあらず。是等はすべて全宇宙の自然の法則なるによってなり。この理あるによって空間に種子を蒔きて、樹木を繁茂さすことも得らるるなり。是を要約すれば破壊分解融和組織と云ふは、唯言葉の必要ある諸子の世界にのみ通ずるものにして、既に大霊界ともならば斯る言葉の必要はあらざるなり。例へば戸を閉ざずとも出入りは自由にして又閉すとも是又自由なり。汝等の世界は戸を閉し鍵をかけて出入りを防ぎ居れど、天界にては斯ることは無益の事にて戸を閉し鍵をかけるとも、又閉さずとも意の如く出入りは可能となるなり。未知日記に於て是等の比喩は記され居れば此処には省略す。唯開けよと命ずれば開らき閉ぢよと命ずれば閉ずる迄なり。汝等にこそ不思議なりと思へど、この界の者一人として斯る事の不思議とするものなし。是等はみな当然の事なりとして敢へて意に止むるものあらざるなり。橋なき所を歩まんとして橋よ来れと云へば橋はかけられ、高き所を低くせよと云へば直ちに低くなる。恰も己が手足の如くすべては意の如くなるによってなり。宇宙全土は自らが手足の如く働くによって毫も障碍とはならざるなり。故に危ぎこと更になし。我斯ることを語らば諸子はお伽噺の如く思ふならん。されど事実は事実なり。人智進みてこの理をきはむれば、斯ることは何等不思議とするにはあらざるなり。もし汝等諸子に翼ありて地球上よりぬけ出づることを得るとも、其上空に於て住居すること難からん。何となれば汝等の地球上を離れて一歩外に出づるときは、めまぐろしき種々様々のものがとび交はし居りて分秒もたち尽すことすら難からん。偽はりと思はば飛行機に乗りて先づ空天を飛び交はし見よ。忽ち飛行機が破壊されて墜落の憂目を見るならん。今や電気飛行機を作製て、月の世界を研究せんと計り居る学者もあれど、是等も幾度か失敗せずば望みは達し難からん。されど何日かは成功する時代もあることは我等は保証す。是等の事柄に対してはテッシン、セイキョウ、ミキョウによって教へを受けよ。


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