覚者慈音266 未知日記講義第一二巻 大霊界  気光素と光気素について その9 教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の四                         NO214
大霊界入門記   前編                 
気光素と光気素について                                                                   その9
                      教主寛大講述


 汝等諸子の信仰は摩擦信仰なるが故に、神を忘れ自然に遠ざかること多し。故に徹せざるなり。気素光素一体化して摩擦を生ぜしめざる信仰なれば、通ずることは疑ひの余地なし。光気素の信仰なし居りては徹するものにあらず。信仰者は宜しく気光素の法によって大自然に順ずることに努力せよと奨むるものなり。例へば斯くして宜しきか、斯くすれば悪しきかの信仰は、摩擦なるが故に通ぜず。迷はず、さわがず、善悪の区を嫌はず、大自然に順じなば通達すること疑ひなし。是等は気光素の法に合ふによってなり。例へば海上に竜巻起らば大なる船をも、高く高く押し上げらるる例より考察し見よ。汝等諸子は是を自然の現象と見るや。されど我等の語らんとするところは然にはあらず。もとより竜巻起るは自然の現象に相違なし。されど其自然は即ち光気素自然にして、気光素自然にはあらざるなり。大自然は盤石不動ならでは気光素自然とはならざねなり。是が光気素自然にはたらく時は、竜巻ともなり、地震ともなり然して破壊の方向に向ふ。されど是等は永からず。一時的の現象にして止む。大自然の法則より生じたる現はれなるによってなり。是を変化自然とも見て差支なからん。よって不変化自然の法則に従って歩みを続け居らば、変化自然を克服すること難きにあらず。否克服するにあらずして変化自然は何日かはおさまる。この理をよくよく知りて事にあたらば、如何なる変化自然に対しても危険に陥ることなく、進むことを得るによってなり。現に九流界の人類は此理を知るによって如何なる天変地異も、変化自然の現はるとも、妨害とはならずして却って其を逆用して大自然の具備をたかめつつあるなり。九流界に於てすら安全に世を渡ることを得る理より、汝等衆人の世界をこの程度に迄化せしむることは、決して困難なることにあらず。なさんとせば大自然は是を克服して、安ならしむることを得るによってなり。変化自然は大自然によって克服さる。故に大自然は盤石不動なりと知らば可ならん。
 汝等衆人日々の生活に於ても他人に対し慈悲の心を以て交はらば、すべての人は慕ひ来りて汝等の傍らを去ることなからん。是に反し他を抑圧せんとの心にて交はらば争闘の絶間なかるべし。他を虐ぐるは光気素の現はれにて一時的の現象なり。慈悲の心は盤石不動にして変ること無ければ、慕ひ来るとも共に自由を与へしめて、安からしむることは慈悲の心の強き故なり。即ち慈悲の心は気光素に合ひ、光気素の心は己を主としたる一時的の現はれなるによって、一時通ずるとも忽ちにして消滅す。慈悲心は気光素なるが故に終始変ることなし。されば世を治めんとするもの慈悲の心を貯へて、事にあたり居らば世は安かるべし。今や汝等の世界は雨を呼ぶか嵐を誘ふかの危き位置におかれたり。是等は相互間に於て光気素の交はりをなして相対するが故に、晴天とはならずして斯くも険悪なる姿を持続し居ることは、気光素の交はりの方面より遠ざかり居るによってなるべし。

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