覚者慈音253    未知日記講義第一二巻  大霊界  ジョウ 完成門  教主寛大講義

知日記講義第一二巻  大霊界       巻の四                         NO201
大霊界入門記   前編                 
第三   ジョウ完成門  (仮称) 又は組織門 成就門   (仮称)                                               その8
                      教主寛大講述


 ジョウの門を許されて仏の学問をなす程度に達しなば、最早修養修業の必要はあらざるなり。このところ迄来るに人として生れたる汝等衆人の養育せられ居るを、時間的に計算すれば実に長き年月を要することより、人としての如何に勝れ居るかを喜ばざるべからず。一度あやまちて魂屑とならば更に次の人間に移さるる迄の苦痛は是又きはめて永し。一度人として置かれたるもの、この点に意を用いて一日たりとも、修養修業をおろそかになすこと勿れ。又あやまちて魂屑となる勿れ。この点より考察すれば汝等諸子の世界の如き人類の日常生活を見る時、そのあやまれる道を択びて世をわたり居る姿を、見聞するものならば不憫なる者よとの念は生ずるならん。実に哀れなる者共なりと我等はいたく是を不憫に思ふなり。汝等衆人(但し日本)には古来よりの言ひ伝へに「かごに乗る人かつぐ人、その又わらじを作るひと」と云へる教へを聞きたり。是等は実に当を得たる教へにして、迂闊に聞きのがすことなかれ。汝等衆人は駕籠に乗る人を羨み、駕籠をかく人を卑しむは是心の迷ひなるべし。然とは思はざるや。
 八月25日のこだま会に於て泰岳が会員に語りたる言葉に、贅沢は身を削る鉋(かんな)なりと思へよと教へたり。此言葉を仇に聞きのがすこと勿れ。駕籠に乗る人はたとえ一時たりとも安楽を求めんとするがゆえに、駕籠に乗る時間だけ身を削りたる結果となり居ることに注意せざるべからず。斯く人は秒時たりとも安らかならん事を望むが故に、却って肉体を弱くなすなり。汝等衆人は昼間一日働きて夜間に眠る。其だけにて健康は保たるること疑ひなし。駕籠を担ぐ人は一日の労苦を夜間眠りて、又明日の日を働くによって健康は保たれて其労苦に堪え居るなり。駕籠に乗る人よりも担ぐ人の方が健康者なるべし。汝等衆人駕籠に乗る人を羨むの必要あらんや。駕籠を担ぐ人の草鞋を作りて、彼に便宜を与へ居る人は担ぐ人よりも卑しきか。我等に云はしむれば草鞋を作る人を尊び、乗る人を却って卑賤と思ふなり。駕籠に乗る人が金品財宝によって安らかなりとせばその財宝が失はれたる時、果して彼は駕籠を担ぐ人となることは難かるべし。健康を害して肉体を弱らせ、労働に堪ゆることあたはざるに至らばその時は乞食するの他なかるべし。贅沢は身を削る鉋なりと教へしは是なり。大霊界の人類は一秒も休むことなく命ぜられたる職責を守りて、おろそかにせず励み居ることの点より、汝等諸子の世界を見る時は、汝等衆人は働く時間よりも、休む時間の方が長きことを我等は知る。斯くも怠慢なるが故に肉体は益々衰へて、役に立ぬ人となることは当然のことなり。寒しとて暖房装置をなし、暑きとて冷房装置をなして、又しても働く時を益々少なくなすは、文化人なりとか称し居る愚を我等は滑稽と思ふなり。働きたる上に働きても疲れず、益々健康となる人類を養成せよと勧むるものなり。大霊界の人類は働らけば働くだけ、その力は益々加はり安楽は益々安楽となる。故に休むと云ふことを知らざるなり。牛馬の如く働かさるるものを奴隷と称して嘲り嗤い居れど、汝等衆人みな労働者にてはあらざるか。政治家も国民のための労働者なるべし。医者学者機械を取り扱ふもの等々すべて労働者ならざるものあらんや。牛馬の如く働かさるるものと雖も、彼等が健康者なるが故にその任務にあたる。彼等にして虚弱者ならばその責には堪えがたからん。虚弱者にむち打ちて過激なる働労なさしむるは、人を見る眼識なきが故なり。虚弱者には虚弱に適する任務をあたへ、健康者には其相当の任務を与へなば彼等は満足して働くならん。虚弱者を酷使するが故に、彼等は反抗して争ひを惹き起こし果は流血の惨事を見る。斯ることは分り切りたる事柄に不拘、今尚汝等衆人の世界には行はれつつあるにてはあらざるか。甚だしきに至っては報酬の如何によって、軍人を志願して戦場に出づる愚者さへあるなり。戦場に出でて倒るれば財宝を山と積まれても何等の価値もなからんに、好んで戦場に出づるものは我等に云はしめれば最高の愚者なりと云ふの他なし。戦争は神の教へにあらず。又大自然の教へにもあらざるなり。

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