覚者慈音252

未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の四                         NO200
大霊界入門記   前編                 
第三   ジョウ完成門  (仮称) 又は組織門 成就門   (仮称)                                               その7
                      教主寛大講述


 汝等衆人は美味を喰ひ美服を纏い居らば美はしと見て、己も斯くありたしと思ふ心を抱くによって、益々身心の汚れを多くするのみ。心の底より悔ひ改めて肉体には汚れたるものを纏はず、常に洗濯して汚れたる垢を脱落せしめたるものを纏ひ居らば、肉体も清浄ならん。他より見られて美はしと思ふ衣には、却って眼に見えざる垢の附着なし居るものにて真の清浄にはあらざるべし。汝等衆人は新しき衣を作りて美服なりと見るは誤りなり。何となればその衣が店頭にある間に最早何物かに汚され居ることを知らざるならん、織機より下したる反物が塵埃に犯され居るにてはあらざるか。其が彼方此方と人より人と手をくぐりて己が身に纏ふ衣に仕立て上げられたる時、最早最初の糸の如き光沢は既に失はれ居ることも見のがすなかれ。
 九流界以上の人類は身に衣を纏ひ居れど汚れたるものを用いず。常に清浄無垢なるを択び居れり。我、斯く語らば九流界以上の人間は朝夕衣を取り更へ居るやと思ふならん。されど事実は然らず。一度纏ひたる衣は生涯脱衣することはあらざるなり。されど汚れは少しもあらざることと承知せよ。彼等は汚れざる衣なるが故に生涯纏ひ居るなり。汝等諸子の衣の如く汚るるが故に取り更へ、又破るるが故に捨つる等のことはあらざるなり。一度身に纏へば一生涯汚れを覚ゆることなく、常に清浄無垢なるによって脱衣することの不自由はあらざるなり。又取り更る如き不便もあらざるなり。九流界以上の人類に於て斯くの如し。まして大霊界に学びたるもの斯くの如きなやみはあるべき筈もなし。されど未だ汝等衆人の世界はかかるもののあらざるが故に、洗濯をよくして脱落せしめずば、肉体は汚さるるによって常に洗濯して、脱落せしめたるものを纏ひ居らば其にて可ならん。是は肉体のみの事にして、心に纏ふ衣は絶間なくなし居らずば少しの油断によって、大なる垢によって汚され、如何に洗ふとも斑点の残りて脱落せざる如き痕跡を止めをきては、大霊界はおろか三四流界迄も上ることは許されざるなり。肉体は亡びて皆其々の個性に返れど、亡びざる心魂は汚れ多くしては、天界に入ることきはめて至難なり。心は魂に同化して結合し、軈てはすべての汚れと共に姿を異にする時節あれど、魂は霊に同化すとも形を変ずることなく永久無窮なり。よって是等は純潔無垢にあらひ落し汚れたる痕跡を残す事なく、天界に移されても恥づかしからぬ洗濯法を用い居らば可ならん。洗濯法とは何かは最早語るの余地なし。即ち心は亡ぶれど魂は亡びざるによってなり。魂亡ぶものならば大霊界その他何流界なりと云ふ如き必要もなかるべし。亡びざるものを永久育てんがために設けたる処は、天界或は大霊界などの場所に、移さんがための場所として定められ居ることは、汝等衆人と雖も最早この理は承知なし居るならん。

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